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2004.1.21 
 
 


HIV感染抑制失敗の遠因…

 産経新聞 編集局次長の宮田一雄氏によれば、日本でのエイズ報道は「話題の標的」を作ることに熱心だ、という。
 標的を決めることで注目を集める手法が主流なのである。このため、飽きられて話題性が乏しくなると、ほとんど無関心状態に陥る。そして、次の標的を探し始める訳だ。
  (宮田一雄著「世界はエイズとどう闘ってきたのか 危機の20年を歩く」ポット出版 2003年12月刊)

 経緯を示されれば、その通りだと言わざるを得まい。

 最初は、奇妙な病気の登場という報道だった。米国大都市のゲイの社会で訳のわからぬ疾病が流行っているという紹介だ。
 ここでの標的は「同性愛者」である。

 ところが、輸入血液製剤による血友病患者への感染がはっきりした。そこで、今度は「よからぬ外国」が標的に変わる。

 熱処理血液製剤によって薬剤経由感染が無くなり話題性が薄れると、別な標的が現れる。主にタイ人らしいが、「アジア人女性」感染者の存在が取り上げられる。アジアでの感染拡大が話題になる。
 (タイから感染者が入国した証拠はないようだ。アジア人女性の実質的雇用者が夜のビジネス維持のため全員に検診させたことで、感染者数が急増した、と見た方が自然に思える。)

 そして、この話に興味が薄れると、今度は「コギャル」である。若者の性風俗を誇大に取り上げることで、関心を引こうとした訳である。
 (宮田氏によれば、「イエローキャブ」という、ほとんど現地で知られていない話まで取り上げて、煽ったという。)

 ・・・というのが、流れだ。

 もっとも、この途中でHIV訴訟の話題が入る。当然のことながら、無責任な「厚生省のお役人」が標的になった訳だ。
 しかし、当時の厚生大臣の決断で、政府が非を認めたため、標的は悪徳「権威者」に移る。そして、いつのまにか、報道は下火になる。

 これだけ次々と泡沫的話題を提供し続ければ、流石にタネも尽きる。その結果、現在は端境期らしい。つまり、エイズへの無関心が広がっているのである。

 無関心は、怖い。
 感染は検査しなければわからない。無関心な状況が広がれば、ますます検査を受ける人が減る。従って、数字に表れない感染者が急増している可能性は高い。(推計では、未報告感染者数は1.3〜4.8倍)
 おそらく、感染が広まってから、事態の重大性に気付くことになろう。
  (http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/2003ekigaku/047.htm)

 現実に、裏経済分析によればセックス産業は栄えているようだし、海外買春ツアーも減っているようには見えない。悪いことには、一応の知識はあるのだが、肝心な防御の知識を欠くから、感染可能性は低いとは言い難い。
 一方、感染拡大のスピードは速い。日本社会には、根強い「強い男」願望があるからだ。
 経験豊富なことを誇り、防御など軟弱と考える、男文化が幅をきかす社会では、感染はすぐに広まるのだ。
  (UNAIDS「Men and AIDS-a gender approach」 http://www.unaids.org/wac/2001/Files/WACmenE.pdf)

 日本は、感染抑制に失敗している、と言えよう。
 おそらく、数年内に、国内感染者数は数万にのぼるだろう。そして、感染者数増加率が急激に高まる。

 今や12月発表が恒例になってしまった、UNAIDSの「AIDS epidemic update」によれば、全世界で、死者は300万人を越え、4,000万人以上が感染しているという。
  (http://www.unaids.org/EN/other/functionalities/document.asp?href=http%3A%2F%2Fwww%2Eunaids%2Eorg%2Fhtml%2Fpub%2FPublications%2FIRC%2Dpub06%2FEpi03%5F00%5Fen%5Fhtml%2Ehtm&PDFHref=&FileSize=120)

 グローバル化経済の時代である。これを、他人事と考えていればどうなるかは、はっきりしているのではないだろうか。
 しかし、標的を探しあぐねる日本のメディアは、そしらぬ顔を決め込むつもりだ。
 今のままなら、無関心の流れが強まることになろう。そして、見えないところで、国内感染が広まる。


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