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2004.5.25
危機感の重要性…
ついに、日本に、利益1兆円を稼ぐメーカーが登場した。ここまでくると、一つの国家並の規模である。
この成功の鍵は、何だろうか?
様々な意見があるが、1つに絞るなら、社員にみなぎる危機感ではないだろうか。
ここまで順調に発展してきたのに、危機感が消えないのは、驚異的だと思う。
もっとも、危機感は、この企業の専売特許ではない。もともと、昔は、ほとんどの日本企業がもっていたからだ。
まだ企業規模が小さかった頃は、どの会社にも、危機感がみなぎっていた。海外の巨人とまともに戦えばひとたまりもない、と感じていたのだ。実際、技術格差は大きかったから、研究者/エンジニアの仕事は、先ずは海外の業界リーダーの分析だった。この分析結果から流れを読み間違えれば、蹴落とされかねないとの緊張感がみなぎっていたと思う。
ところが、何時の間にか、こうした緊張感・危機感が消えてしまった。
何時しか技術レベルが同等になり、さらには凌駕するようになってきたとたん、欧米など大したことはない、と考える研究者/エンジニアが増えてきたのである。
世界に誇れる技術を開発できるようになれば、自信がついてくるのは、極く自然な現象である。外から見れば奢りに映るが、自負心が高まっているとも言えるから、さらに高レベルの技術を生み出すこともある。これが、さらに自信を高める、という好循環に繋がることもある。
しかし、今は、イノベーションの時代である。イノベーション競争での奢りの発生は怖い。イノベーションの原動力たる緊張感を失ないかねないからである。
このウエブでは、こうした緊張感を呼び覚ますために、できる限り刺激的な内容を提供してきた。お読みになればわかると思うが、場合によっては極論まで展開している。
ところが、この効用をさっぱり感じない方も多いようだ。
真面目に取り組んでいるのに、けしからん言辞だ、との批判や、なかには卑下しているとのご意見まで頂戴する。
面白くない話しは聞きたくない人が多いようだ。
例えば、日本の研究開発の生産性は低い、と語るとご立腹する方が多い。日本の技術は優れており、欧米に劣る筈がない、と耳をかさないのである。
危機感を喪失すると、現実が見えなくなる典型例といえる。
但し、これは必ずしも傲慢な態度から発生している訳ではない。日本の製造業の研究開発生産性は高い、と指摘した実証レポートがあるからだ。この結果を見て安心している訳である。
要するに、日本には、「王様は裸だ」と指摘する人は少ないのである。
しかし、ようやく、現実を直視したレポートが登場した。
高橋道典氏執筆担当の「90年代以降の企業の研究開発動向」[日本政策投資銀行 調査No.63 2004年4月(1)]である。
このレポートによれば、1990年代に、「日本企業の研究開発が有効に付加価値の創出に貢献していると結論付けるには弱い」そうだ。
日本企業には、「生産性向上が求められる」との極く自然な意見が述べられている。
この報告書でも触れられているが、今までのレポートは、バブルで湧いた1980年代と1990年代を合算して分析しているのである。
長期で見れば、生産性は高い。しかし、後半の生産性が急激に落ちているとしたら、ビジネスマンなら危機感を抱くだろう。このままトレンドが続けば大事と考えるが普通だ。
しかも、今や、世界中がイノベーション創出に向けて全力疾走し始めている。トップ企業も、油断すれば早晩追い越され、下手をすると落伍しかねない。このため、トップランナーも挑戦し続けるしかないのである。
こうした環境下で、付加価値の創出に貢献しない研究開発を続けていたとしたら・・・。
今や、健全な危機感から来る緊張感を持続しているのは、一部の優良企業に限られてしまったのかもしれない。
--- 参照 ---
(1) http://www.dbj.go.jp/japanese/download/pdf/research/63_all.pdf
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