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2004.7.21 



ゼネコン淘汰は驚くことではない…

 政府見通しによれば、2004年度建設投資は前年度比3.6%減の51兆9,000億円になる。
 政府投資は、2003年度マイナス9.5%だったが、2004年度もマイナス11.1%である。(1)

 建設にかかわる企業にとっては、厳しい時代が続く訳である。特に、1000社程度はあるのではないかと思われる、売上数十億円規模の地場の中堅ゼネコンは存在そのものが問われることになろう。

 当事者にとっては、一大事ではあるが、この産業は、もともとそのようなものではないのだろうか。
 特段のスキルが無い企業の多数乱立状態が続いている方が、余程異常だと思う。
 細分化された土地で規定される農業とは違うのである。それぞれの領域で、優れた企業が幾つかあれば十分にニーズに応えることができる筈なのである。

 知恵を絞って努力している企業が伸び、真似だけの企業には退出して頂き、産業の再興を図るべき時が来ていると言えよう。

 歴史を振り返れば、そんなことは一目瞭然だと思う。

 膨大な人口と火事で有名な江戸には、数多くの大工がいた筈だ。しかし、大工業から大きく発展できたのは、一握りにすぎない。
 清水建設の発祥は、文化元年(1804)、江戸神田鍛冶町の大工業だ。開国を期に飛躍を果たした。(2)
 鹿島建設も、天保11年(1840)、江戸中橋正木町において創業し、洋風建築で業容を拡大した。(3)

 地方から発展した企業もある。佐藤工業は富山の堤防工事業からの出発だ。文久2年(1862)のことである。(4)

 さらに古いのは、宮大工である。建築作品者として、クラフツマンシップを発揮して生き延びてきたのである。
 名古屋発祥の竹中工務店は、慶長15年(1610)創業である。(5)

 いずれも今や日本を代表する大企業だ。このことは、当時の同業者の多くは、業界から退出して行ったことを物語る。スキルをもっていた企業が伸張し、今も事業を続けているにすぎない。
 このようなダイナミズムを抑制しているのが、今の産業構造である。これを、昔のようにすれば、飛躍する企業が登場してくる筈だ。

 もっとも、この産業には、さらに長期間に渡り、営々と建築業を続けてきた驚くべき企業がある。金剛組である。
 飛鳥時代(578年)、聖徳太子に招請されて百済から日本に建築技術を伝えたとされる。実に、1400年以上昔のことである。世界最長の歴史を持つ企業であることは間違いない。
 寺建築が抑制された逆風の時代も、工夫して、必死に生き延びてきたのである。伝統建築にいち早くコンクリート作りを導入したことでも知られている。(6)

 どのようにして生き延びるか考えるためには、先ずは、得意技をはっきりさせることだ。日々、真面目に活動していれば、誇れるものが必ずある筈である。
 もし見つからないのなら、知恵が足りないというだけの話しだと思う。

 --- 参照 ---
(1) http://www.mlit.go.jp/toukeijouhou/chojou/tousisuikeih16.htm
(2) http://www.shimz.co.jp/200th/index.html
(3) http://www.kajima.co.jp/prof/overview/160-2.htm
(4) http://www.satokogyo.co.jp/skip/dat/his.html
(5) http://www.takenaka.co.jp/corp/history.html
(6) http://www.kongogumi.co.jp/enkaku.htm

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