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2004.7.23 



キトラ古墳問題の本質…

 2004年7月12日、奈良県明日香村のキトラ古墳の調査研究委員会は、剥落の危機に直面している青龍と白虎、十二支の亥像の壁画を剥ぎ取ることを決めた。(1)

 多くの人は突然の話しで驚いたと思うが、古墳に興味を持つ素人にとっては、予想された発表である。
 記事では、「苦渋の決断」とされているが、ビジネスマンが実情を知れば「無責任な決断」と見なすのではないだろうか。

 と言うと、記事で引用されている批判の言辞、「保存科学は“魔法使い”と思っていたが、最近は違う。はがすのは賛成だが、これまでの反省が必要」、を支持する意見と思うかもしれない。
 あるいは、1987年に刊行された報告書に、輪郭が不鮮明になった白虎の写真が掲載されているから、劣化に気付いていた筈だ。危機意識もなく、無策のまま放置したのが問題、と考える人もいるだろう。(2)
 (文化庁の担当者が年一回、石室内に入り確認していた筈だが、詳細な情報は公表されていない。)

 ・・・違うのである。

 実は、反省が一番必要なのは、保存科学の方ではないし、行政でもない。日本の考古学者達である。
 「一刻も早く対策をと、20数年訴えてきたのに何も手を打たなかった」、というより手を打てなかった理由は、「考古学者達の閉鎖性」である。

 こんな説明では、なにがなんだかわからないだろう。

 ビジネスマンには、理解し難いかも知れないが、日本の考古学では、貴重な資料は「発見者のグループ」が独占するとの不文律がある。煮て食おうが、焼いて食おうが、勝手なのである。どのように保存しようが、誰も文句をつけようがない。
 とんでもない仕組みである。

 こんな状況を知ったのは、分野外の専門家の話しを聞いたからである。
 科学分析結果をもとに、古墳の由来を推定する方法を提起したのだが、完璧に無視されたという。
 科学的な鑑識結果から犯人がわかっても、自分が考える犯人とは違うから、そのような主張を潰すのと、ほとんど同じ仕業だ。こんなことが通用する、たまげた世界なのである。

 こんな「科学」だから、インチキ発掘者が跋扈できるのだ。誰が考えてもおかしい発掘結果にもかかわらず何も発言しない。
 批判厳禁なのである。ウソを見抜いたのは、新聞記者なのだから、呆れ返る。

 要するに、発見者は資料を独占し、その資料をもとに、自分勝手な理屈の学術成果を次々とあげる仕組みなのだ。資料が独占されているのだから、発見者に対して批判のしようがない。

 こんな状況で、保存科学が発展するとは思えない。

 --- 参照 ---
(1) http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040712i316.htm
(2) http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20040705ig91.htm

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