人名漢字騒動とは…
人名漢字騒動もようやく収まったようだ。
ざっと、経緯をふりかえってみよう。
戸籍に記載される氏名に用いる事が出来る文字は、常用漢字(1945字)、人名用漢字(290字)、片仮名、平仮名、である。さらに、人名用漢字許容字体(205字)として、旧字体の利用も承認されている。
使えないのは、変体仮名、外国文字、算用数字、ローマ数字、記号である。
もともと、常用漢字が制定されたのは、漢字を過度に使用しないようにするためだった。漢字は覚えるのが厄介であるから、効率的な日常生活にするためには、できる限り使用漢字数を抑えようという、極く当たり前の発想から始まったのである。
(現実に、教育漢字は1006字しかない。おそらく、無理なく覚えられるレベルとはこんなものだろう。)
人名も、基本的には、常用漢字で、という考え方だったろう。しかし、人名だけに頻繁に用いられる文字を外す訳にいかなかったから、追加されたにすぎない。
(もっとも、人名では、漢字の読み方は自由だ。他人には読めない漢字の存在を前提にした不思議な制度である。)
ところが、この原則がなし崩し的に変えられている。人名漢字を順次増やすつもりのようだ。
人名用漢字数変遷(1) |
|
文字数 |
1951年 |
92 |
1976年 |
120 |
1981年 |
166 |
1990年 |
284 |
1997年 |
285 |
2004年 2月23日 |
286 |
2004年 6月7日 |
287 |
2004年 7月12日 |
290 |
ことの発端は、「糞」と「癌」である。人名に不適当な漢字が選ばれた、と大騒ぎしたのである。こんな常識も無いのか、との主張一色である。
ほとんどの報道のトーンは、「人名用漢字追加案」を見れば、一般庶民がとまどうのも当たり前、というものだ。記載していないが、役人のやることはこれだから、・・・と言いたげなものばかり。
お役所仕事を批判していれば、正義の味方と思っている人が多いようだ。
そもそも、追加人名漢字は「常用平易」の観点から選定すると決めた筈である。人名に適当かどうかの判断はしない、ということで選んだのだ。ところが、原則を無視したい人ばかりだ。
これでは、役所がいい加減になるのも、しかたあるまい。原理原則を守るな、と言われているようなものだからだ。
役所とは、しっかりとした原則を打ちたて、その原則の下で施策を案出するから意義がある。将来を考えて、ルールを定め、そのルールを遵守させる役割を担ってもらわなければ、社会の発展基盤が失われてしまう。
この仕組みを壊したい人がいるようだ。
漢字の問題は、小さな問題ではない。情報化社会を作る上で、文字をどう取り扱うかで進歩のスピードが決まってしまうからだ。
共通の文字コードを作らない限り、いくらコンピュータを増設したところで、意味が薄いからである。漢字は字体を含めて、標準化して規格統一を図る必要があり、いつまでも、どうするか延々と議論をしている暇など無い。
原則を定めて、一気に決めるしかないのである。
人名漢字問題を見ていると、このようなことを快く思わない人が多いことがわかる。
お上が決める問題ではないと考えているのかもしれない。漢字コード設定を管理社会化と同一視するのである。
この姿勢は、一見、リベラルに見えるが、全く逆である。
本質的には合理的な社会をつくりたくないのである。合理的な仕組みが動いて、下克上が始まることを恐れているだけの話しである。
--- 参照 ---
(1) ウィキペディア「人名用漢字」
(2) 法制審議会人名用漢字部会第1回会議(平成2004年3月26日開催)
http://www.moj.go.jp/SHINGI/040326-1.html