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2005.2.22 |
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パロディ対決…ひょんなことから前衛芸術家の赤瀬川原平氏を突然思い出した。略歴を確認してみたが、1937年生まれだから、よく知らない人も多いかもしれない。 一寸、眺めてみよう。(1) 前衛芸術活動のデビューは、1960年に高松次郎氏らとの「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」結成のようだ。1962年にはシェル美術賞に入選しており、順調だった。 ところが、1963年に「千円札の模型」を制作し逮捕される。判決は執行猶予つきながら通貨および証券模造取締法違反で 有罪。 1970年代になって、今はなき「朝日ジャーナル」(2)で、『櫻画報』なる風刺(パロディ型)イラストを始めた。 そして、1980年には「父が消えた」(尾辻克彦)で第84回芥川賞を受賞する。当時は、小説のポップアート化として騒がれたように記憶している。 その後、役立たずの街中モノをじっくり観察し“超芸術「トマソン」”と名付けたことでも有名になった。藤森照信氏や南伸坊氏らと冗談半分で“路上観察學会”を始めたお陰で、街歩きが大いに流行った。「東京路上探検記」は講談社エッセイ賞を受賞している。 これだけではない。「ライカ同盟」、「新解さんの謎」、「老人力」と、新しい見方を精力的に提起してきた。世の中全体から見れば、まさに前衛の地位にいる人と言ってよいだろう。 そして、知る人ぞ知る、屋根に韮を生やした「にらハウス」にお住まいのようだ。 こんな略歴はどうでもよい。 たまたま、画家、赤瀬川原平さん特集の400字コメントを執筆した新聞記者氏の古いお話(3)を読んでしまったのである。 「新聞の場合、ゲラを取材者に見せることは 原則としてしていない。 ゲラを見て、自分の都合のいいように 記事を書き直さない人はまれだからだ。 それに、新聞記者の主観の入った部分を 事前にチェックしてもらうようなことを しては、取材者に批判的な記事など出せなくなってしまう。」そうだ。 勘が鋭い方ならわかるかもしれない。 この方は、A新聞の記者である。 そのため、昔、A新聞の雑誌で連載されていた、赤瀬川氏のパロデーが突然打ち切りになったことを思い出したのである。 その原因は、たった1枚の絵だった。国定教科書、小学1年生「国語」である。 そこに「アカイ、アカイ、アサヒハアカイ」。 これだけで、新聞社幹部の怒りをかったらしい。この騒ぎの話は封印されているのか、ほとんど見かけない。 実は、話は、ここで終わらないのである。 さらに裏がある。 A新聞は、赤瀬川氏が「千円札の模型」で逮捕された時、「自称前衛芸術家 千円札を偽造」と報道したのである。しかも、正真正銘の偽造千円札事件「チ37号」の記事のすぐそばで。 話はここで終わりである。(4) --- 参照 --- (1) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E5%B9%B3 (2) 1991年廃刊。 1970年頃に左翼的論調を繰り広げ、全共闘運動の波に乗り、一般学生まで読者にとりこむことに成功し、部数を急速に伸ばした。 それまでは、インテリ向けの小難しいクオリティ誌だった。 (3) 1998-06-06-SAT http://www.1101.com/yamawaki/ (4) N v.s. Aのメディア対決はパロディそのものである。 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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