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2005.3.8 |
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深刻化する死亡率低下問題…これからの時代の人生設計は大変である。100才近辺まで、生きていることを前提にした貯蓄計画が必要となるのは間違いないようだ。 もちろん今のスキームの年金は変えざるを得なくなる。
2005年2月24日、国連の人口予測の最新版が発表されたが、これによると、2045−2050年の日本の平均余命は88.3才だそうだ。この先、死亡率はさらに低下するとの予測に他ならない。(1) 日本は老人中心の社会になる訳だ。 先進国の死亡率は、過去50年間直線的に下がってきた。そして、鈍化傾向もない。今後も下がり続けると考えるのは極く自然な解釈である。 これを前提にすると、日本は2050年には、平均余命が約91才になるとの予測も以前登場したことがある。日本の公式予測が約83才だったから一部で注目されたが、騒ぎは一過性で終わった。(2) しかし、よく考えれば、この程度の死亡率低下では済まないのではなかろうか。 癌、心臓病、脳卒中、糖尿病が克服できれば、寿命はさらに10才程度延びてもおかしくないからである。 そんななかで、不老不死が実現可能と考える人もでてきた。 Kurzweil 氏によれば、不老不死への道には3つのbridgeがあるそうだ。(3) 1つ目は、health regimen。 2つ目は、biotechnological revolution。 3つ目は、nanotechnology and artificial intelligence revolution。 要するに、まずは節制して健康を保ち、その上で遺伝子技術を使って、病因を封じ込めたり、老化を抑える。そして最終的には微小ロボットが不調な部分を修復していくという訳である。 科学技術の発展を見る限り、こうした意見を「夢」と片付けられなくなってきたと言えそうだ。 すでに、長寿やスリムな体型に保てる遺伝子の本質までわかってきている。(4)マイクロマシンや再生医療も結構な水準に到達してきた。bridge2/3は唐突な話ではなくなったのである。 90才や100才といった長寿者は存在するが、一般の人にとっては、80才台には死を迎えるものと考えていた訳だが、この常識がそろそろ覆される時が来たようだ。 一気に社会基盤が崩れてしまう可能性がでてきたということである。 → 「老化遺伝子解明のインパクト 」 (2000年10月6日) ・・・寿命問題を冗談として語れないようになってしまった。 --- 参照 --- (1) http://www.un.org/esa/population/publications/WPP2004/WPP2004-HIGHLIGHTS_Final.pdf (2) S. Tuljapurkar等“A Universal Pattern of Mortality Decline in the G7 Countries”Nature 2000年6月4日号(405) 789頁 (3) http://www.wired.com/news/medtech/0,1286,66585,00.html (4) 例 http://www.mcg.edu/news/2004NewsRel/fei.html --- 追記 (2005年3月14日) --- Kurzweil 氏の予測を引用した理由に関するお尋ねがあった。「Kurzweilの予想」をお読みになればおわかりになると思う。 技術の進歩について、見方は大きく2つに分かれるのである。 「Kurzweilの予想」(2001年11月6日)>>> 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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