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2005.7.14 |
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成長の歓びを失った企業人…「エコの時代だから、成長を目標にしない事業があってもよいのではないか。」・・・ある大企業で事業部門の研究開発を担当している幹部の発言である。冗談半分かと思ったら本気なので、唖然とさせられた。 思わず、成長を目指さない事業を推進していて、仕事が面白いのですかと聞きたくなった。 企業における研究開発部門は、技能をとことん突き詰める喜びで働く職人集団ではあるまい。伝統技術を伝える使命感で働いている筈もなかろう。 大規模な資本を投下することで、事業を大きく発展させることを狙う、大企業の一部門なのだから、研究開発部門の人々は事業の成長を追い求めていると思っていたが、どうもそうとは言えないようだ。 間違ってもらってはこまるが、成長が期待できない事業は大企業に不要だと見なしている訳ではない。企業総体の発展にとって必要なら、衰退事業でも十分存在価値はあるし、価値観を固定必要なアイデンティティとなっているような事業は成長性などなくても不可欠なものである。 しかし、確たる意義もなく、成長の可能性が薄い事業なら、大企業に所属する意味はないのではないか。 こんな考え方で、冒頭の発言を捉え返せば、以下の内容になろう。 「自分達の事業は成長が期待できないから、企業内に留まる意義は薄い。」 本当にそう思うなら、大いに主張すべきだと思う。 この事業は、大企業から独立すべきなのである。 こうした主張なら拍手を送りたい。 この事業にとっても、企業総体としても、どう見ても独立した方がメリットが大きいからである。 ところが、冒頭の発言はそのような論旨にはつながらない。 「成長を目標にしない」のだが、大企業所属は大前提であり、そこは絶対に譲れないのである。独立はタブーらしい。 従って、企業全体の価値観を変えよと主張することになる。 これこそ、大企業病そのものである。なんのために企業が存続するのかという理念などどうでもよく、企業名の存続自体が重要なのである。 要するに、大企業の看板の下で働くことが嬉しいのだ。 ともかく公務員になれれば万々歳という発想とよく似ている。 こんな発想の人を研究開発の幹部に登用することだけは避けて欲しいものだ。 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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