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2005.8.17
 
 


研究員採用のポイント…

 優れている人が、企業の壁、国の垣根を跳び越えて、雄飛することができる時代が到来しつつある。
 逆に言えば、有能な人に力を発揮できる「場」を提供できる企業や国が栄えるということだ。

 こんな時代にもかかわらず、漠然とした目標しか持たずに出世したいと考え懸命に働く人が多い。仕事熱心なのは結構なことだが、努力が報われる保証などない。
 どのような人が貢献できると考えているのか明確にしない企業が多すぎるから、生きていくために本心を語れないとも言えるが。
 ともあれ、企業に哲学がないのである。場当たり的に人を使うだけだから、キャリアを保証できる訳がない。

 ところが、この状態にもかかわらず、努力している社員に対して、企業は十二分に応え、将来を保証すべきと主張する人がいる。
 一理あるようにも聞こえるが、こう主張する人に、当社に貢献してくれる人材のイメージを訊ねると曖昧模糊とした答えしか返ってこない。
 これでは、能力が無くても、努力し続ける人を優遇するだけの方針と言わざるをえまい。

 もっとも、そんな意見を述べると猛烈な反撥をくらう。
 人は努力すれば、夢は必ず実現するなどとお説教を喰らう。

 まさに過去の発想から抜けられない人なのだが、こんな人に限って、均質的な人材の時代は終わったと語る。
 しかも、さっぱり成果が出ない研究所に対して、研究費と人員を一律削減している企業でよく見かける。

 何故こうなるかと言えば、専門技術能力が高い人材を選別して、研究テーマさえ絞り込めば成果は出るとの論理を信奉しているからだ。
 妥当な見方に見えるかもしれないが、将来が読め、それに合わせた「専門能力」も自明との前提が成り立たないと空論でしかない。
 将来を読めもしない人が、専門技術能力の高い人を集めたところで成果が出るとは思えまい。

 もちろん、将来が読める開発部門ならよい。業務の成果は誰が見てもわかるので、開発業務推進に必要な専門能力は読めるからだ。
 しかし、研究部門ではそうはいかない。
 今年のアウトプットをいくら眺めたところで、企業に貢献するか判断はつかない。全く無駄かもしれないのである。こんな状態なのに、将来の流れを読んで、成功の鍵となる専門能力を決めることができる訳がなかろう。
 つまり、真面目に努力している研究者が将来貢献するという論理は成り立たないのである。

 このことは、研究者に対しては、将来に渡るキャリアの保証はできないということでもある。
 企業は研究者が将来貢献してくれるだろうという「可能性」に賭けていることを自覚すべきである。当てが外れそうな賭けなら即刻中止するしかない。この当たり前の原則を、企業は研究者にはっきりと言うべきである。

 これを人事の視点で見れば、研究者登用に当たっては、専門技術能力で判断すべきでないということになる。
 人事裁定で重要なのは、研究者の「賭け」に勝てそうな資質なのだ。

 要するに、自分自身に企業が賭ける価値があると語れる研究者を選ぶということである。言い換えれば、個人としてビジョンを語れない人を研究員として採用すべきではない。ビジョンなき専門家は、研究者の補助員として働いてもらうしかないのである。
 当然ながら、自分と他人の立場を理解し、十分コミュニケーションがとれる力がなければ、ビジョンも理解してもらえない。研究員にコミュニケーション能力は必須なのである。

 先端を走る研究に賭けるなら、研究者個人の人となりを評価できる人事スキルを身につける必要があろう。


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