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2005.10.17 |
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福知山線事故の深層(真相)…う〜む。やはり、そうだったか。 『2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」』を読ませて頂いた感想である。 丁度、事故後約半年だ。当時の報道を振り返りながら、お読みになることをお奨めしたい。 もしかすると、お書きになった方を励ますことになるかもしれない。そうなるとよいのだが。 → 『2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」』 (Studio Class-C) → 「廃線跡を旅する」 (上記のホーム) 「まったくブレーキはかかっていない。」そうだ。 レコーダー記録では時速108Kmだというが、「体感的にはカーブ進入時で120km/h近くあった」。 時速133Km以下なら転倒しないとされているが、「間違いなく133km/hも出ていなかった」という。 「事故後の運転席のブレーキレバーが非常ブレーキの位置まで押し込まれていたというのは、電車の事故に至る動作からして、私はいまだに信じることができない。」(以上1頁) 貴重な証言である。 ということは、「スピードの出し過ぎで、カーブを曲がりきれなかったというこの事故は、明らかに前近代的、陸蒸気が走っていた明治の鉄道創生期くらいの次元」(5頁)なのだ。 その通りだと思う。 しかし、マスコミ報道も次元が低かった。 「その後盛んになった非番の職員によるボーリングや宴会、ゴルフたたきの論調には同感できなかった。特に、そういう「不祥事」を見つけることに躍起になったり、記者会見で横柄な態度をとるものが出始めたマスコミには、自分がその端くれながら、筋違いぶりに大いに落胆した。」(5頁) 残念ながら、これはどうにもならない。 日本のマスコミは、真の原因を探る意欲を欠く人が主流派だから致し方あるまい。反主流派がところどころで頑張っているからなんとか質を保っているだけだと思う。 これは、人の問題というより、仕組みの問題である。報道人というより、与えられた仕事を片付けるサラリーマンとして育成しているのだから、当然のなりゆきである。サラリーマンなら、できる限り手間をかけすに、他社に負けないような目立つ記事を出すことに注力するしかあるまい。 余計なコメントだったが。 ここまでが、表層的な話。 それでは、深層とは。 先ず第1点目。 「狭軌でなく、より幅の広い標準軌(関西私鉄の多くや新幹線のレール幅)にしていれば、力学的に転覆は起きなかっただろう」(4頁) その通りである。 トロッコ用とも思えるような狭い鉄道線路の続行に賛成する技術屋がいたからこうなったのである。 一度、筋の悪い道に入り込んでしまうと、どうにもならない。標準軌並の性能を出すために、高度な技術を駆使し続けることになる。 技術の無駄遣いを延々続けるしかない。 次が、どうにもならない話。 「対向の特急列車はなぜ止まったのかというと、現場南側の踏切の異常を示す特殊信号発光機が作動していたから」(5頁)だという。 不幸中の幸いである。発光機が作動していなかったら、対向の特急電車が事故現場につっこんでいた。 事故車両の車掌からの緊急連絡で止まったのではなかったのである。車両の責任者は運転士ではなく、車掌の筈だが。 細かく説明する必要はあるまい。 常軌を逸しているのである。 尋常な対策で、「更正」できるとは思えまい。 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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