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2005.11.10 |
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堺屋太一氏のキャンペーンは実るか…日本では、ビジネスマンが納得できそうな意見を述べる人は、全国区では活躍できないと言われている。鋭い見方や、本質的な問題を指摘する人は、せいぜいが小選挙区内しか通用しないそうだ。 そのなかで、例外は堺屋太一氏だ。 大阪万博、沖縄海洋博などを成功裏に推進し、業界用語でいえば、「ランカイ屋」の頂点に立っているし、小渕・森政権時代に経済企画庁長官を担当した大御所だから、当然と言えば当然なのかもしれないが、稀有な方だと思う。 世間一般では、「団塊の世代」という用語を創作したことで知られているが、それは相当昔の話だ。1935年生まれなのに、現役でバリバリと仕事をこなしているのだから、それだけでもすごい。 最近は、2007年〜2010年の「団塊の世代定年」に問題を絞っておられるようだ。(1) 確かに、日本の大きな問題である。 お得意の世代論で、団塊の世代の活躍キャンペーンを展開中だ。 確かに、そうなってもらえば嬉しいが、難しい気もする。 インターネット博覧会(通称インパク)同様、どうもしっくりこない。 原因を色々考えてみたが、これこそが世代ギャップではないか。 昭和1桁頃生れた世代をどう形容するのか知らないが、堺屋太一氏のキャンペーンには、その特徴がでていると思う。 そもそも、ご本人の活動自体が、この世代の特徴そのものかもしれない。 余計なお世話で失礼な話だが、十分な保有資産がある筈なのに、遊んだり、贅沢をする様子が全く感じられないからだ。チャーミングな人柄だが、謹厳実直で生活は真面目そのものという印象を受ける。 かつて、資産を抱える高齢者の消費抑制態度を問題視されたことがおありだが、それは、この世代にこそ当てはまる。 倹約と勤勉は習い性なのだと思う。 団塊の世代は全く違う。 無駄遣いしないのは、他に遣い道があるからで、倹約の気など無い。 はっきり言えば、基本的には浪費型である。モノの購入欲のレベルは高い。そうでなければ、数の力で、大量消費社会を牽引できたはずがなかろう。 ただ、注意しなければならないのは、本人は無駄な消費をしていると考えない傾向が強い点だ。なんでも買う訳ではない。本人にとって意味がないものには、全く手を伸ばさない。 必要なものでも、興味がなければ、お金があっても、一番の安価品を選ぶ。 その特徴は、子供を見れば一目瞭然。 親を見習って、生れた時からお金を使う楽しみに馴染んでいる。 従って、これから、団塊世代相手の消費市場は膨大なものになると思う。 低迷市場と思われていたものも復活してくる筈だ。 単純な算数でわかる。高齢層向きで、人気が薄れ、長期低迷傾向が続いている市場であっても、対象人口全体が増えるから、顧客の絶対数で見れば増加するからだ。 従って、衰退市場を狙う起業家がでてきてもおかしくない。 市場の大転換が発生するのは間違いあるまい。 しかし、この数のパワーは消費を牽引することはあっても、労働力として産業活性化に寄与する方向に進むとは限らない。 望み薄な気もする。 定年退職後、年金を貰いながら働きたいと考える必然性がないからだ。 健康である限り、自分のために活動することは間違いないが、「働く」こと自体が好きでないかもしれないのである。 昔から、この層は「マイペース」が信条だった。 できる限り自分の好きな仕事がしたいという意向は強いが、勤労とは、「マイペース」の生活を実現するための手段と見なされているのではなかろうか。 この点が、昭和1桁世代とは、根本的に違うと思う。 それに、勘違いされている方が多いが、団塊の世代は大学進学率が高い訳ではない。人口が多かったから、大学生の数が急増しただけの話である。学卒でないというだけで、職場で苦労した勤労者は多いのである。 大多数にとっては、“労働”から明るいイメージは浮かばないかもしれない。 堺屋太一氏が、団塊の世代に対して、自分の好きなことのために働こうと呼びかける気持ちはよくわかるが、これに応えるのは一部の人のみになる可能性は高い。 --- 参照 --- (1) 堺屋太一氏の最近の著作: 『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』 文芸春秋 2005年9月 http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/3/67/32/4163673202.shtml 『エキスペリエンツ7 団塊の7人』 日本経済新聞社 2005年7月 http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=17068 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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