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2005.11.24
 
 


技能オリンピックの成績の意味…

 第39回国際技能競技大会(World Skills Competition)が、2007年11月14日から静岡県静岡市で開催される。(1)

 技能オリンピックと言った方がわかり易いかもしれない。(2)

 1970年代は、日本が常に上位を占めていた競技である。その後成績が下降し、ものづくり大国の問題だと指摘する声もあがり、再び力が入るようにはなったとはいえ、以前のような状態とは程遠い。

 日本の力が落ちた一つの要因は、日本と入れ替わりに新興諸国が力をいれた結果である。特に、韓国のように国が報奨金を出したりしたから、選手の目の色が違う。

 もっとも、韓国の日本キャッチアップ政策も成功裏に進んだから、日本同様、技能系人材育成に対して冷淡になってきたようである。(3)

 日本の場合は、そもそもが、基本的に企業まかせである。そのため、余裕ある企業が行う行事の感が強かった。
 昔は、ほとんどの大手メーカーが社内に大規模な技能研修学校を持ち、そこで技能教育に注力していた。そして、優秀な社員を発見し、技能オリンピック選手として、徹底的なトレーニングを行ったのである。選手の育成・強化は企業の面子にかかわることでもあった。

 しかし、そんな時代も終わってしまった。技能オリンピック選手の養成に力が入らなくなったのである。多くの企業に余裕がなくなり、直接収益に繋がりそうにない業務を徹底的に削るようになったからである。

 そのため、手を抜き過ぎてはいまいか、との反省もでてきた。その背景には、モノつくりの基礎力が落ちているとの危惧の念がある。結構納得性がありそうな見方だが、よく考えた方がよい。
 企業によって、技能者に期待する役割は相当違うからである。

 例えば、職人芸的な商品を提供している企業や、現場技能者の知恵が全体の運営に生かさせる企業なら、高度に訓練された技能系人材の育成はプラスに働くのは、誰でもわかる。

 特に前者の場合、余人変えがたき技能のお陰で、ナンバーワンの地位を獲得できる可能性がある。
 しかし、その強い商品を核にしてサービス業的に事業を膨らませるような戦略があるなら別だが、本質的には宮大工を使う組織に近い企業ともいえる。発展性は乏しいのではなかろうか。
 従って、こうしたナンバーワン企業を輩出することで、産業全体の競争力向上を図る方針は疑問と言わざるを得まい。

 とはいえ、これはこれで重要なのは言うまでもない。貴重な技能の伝承は必要である。ただ、層を厚くしても、たいした意味はないのである。少数精鋭方針を貫くべきだろう。

 ところが、モノ作り日本の弱体化を防ぐためには、少数精鋭型ではなく、全体底上げが不可欠と語る人が多い。
 つまり、この考え方は、宮大工型ではない、発展が期待できる企業をつくるべしという主張である。
 現場技能者の知恵を全体の運営に生かす企業を作れということに他ならない。

 理屈は通っている。しかし、モノ作り企業といっても、現場でのつくり込みの知恵を全面的に活用している企業ばかりではないことに注意すべきである。企業によって大きく違うのである。
 ここを無視すると、チグハグな技能者養成になってしまいかねない。

 例えば、ドイツやスイスでは職業訓練は昔から盛んだ。今でも、資格を有する技能者は専門家としての評価は高く、厚遇されている。こうした国の代表が、技能オリンピックで優勝することも珍しいことではない。
 しかし、この仕組みが、産業全体の競争力向上に寄与できるとは限らない。ここが肝心なところだ。

 こんな説明ではよくわからないかもしれない。簡単に解説しよう。

 製造ラインの設備投資に当たって、現場の声を生かして、パフォーマンスの最適化を図る企業を例にとろう。

 ・・・などと言うと、どの企業も自社も該当していると考えてしまう。

 この見方は、多分間違いだ。
 どの企業でも、効率を落とす箇所や無駄な部分を無くすように、現場の意見を聞いて徹底的にシュミレーションするのは、当たり前である。
 真に「現場の声を聞く」企業とは、そんなレベルではない。シュミレーションを行なうのは入り口にすぎないのだ。現場のアドバイスを入れて、CADで設備の配置を決めてからが勝負である。
 シュミレーション結果に合わせ、工場に「実配備」ラインを作ってみて、テストを行うのだ。人が、ラインで実際に動いてみて、初めて、現場から、本当の知恵が生まれる。その知恵に基づいて、設備を決めるのである。

 おそらく、大概の人は、設備投資前の「実配備」など、お金がかかりすぎ、現実性皆無と考えると思う。もし、そう考えたなら、現場の声はたいした価値を生まないと見なしているのと同じことである。

 現実の数字を見ると驚く。設備コスト2割削減、さらに工数削減や工程最適化を入れると、投資予定額の5割程度の価値を生み出す可能性があると言う。従って、「実配備」テストは必須なのだ。

 言うまでもないが、ここでの「実配備」とは、本当の設備機器を入れる訳ではない。作られる設備と類似の段ボール製模型を配置するのである。そして、そこで実際に働く人達を配置し、仮想上で製造ラインを稼動させる。

 大半の人は、「そこまでやるのか」と呟いてしまうのではなかろうか。

 その通り。ここまで妥協を許さない姿勢こそが、モノ作り企業の真髄である。

 技能者が手を動かせば、必ず素晴らしい知恵が生まれると、心底から信じているからこそ、多大な労力と貴重な時間を費やすテストに踏み切れるのである。
 こうした「本気」の企業は、黙っていても、技能研修学校でのスキル習得に注力するし、技能オリンピックへも積極的に参加する。

 要するに、技能オリンピックの成績が振るわないのは、「本気」の企業が減っただけの話である。

 と言うことで、この状況を突破したいのなら、技能オリンピックで日本が大活躍していた頃を振り返ってみる必要がありそうだ。

 出場選手の上司だった方から、昔話を聞いた。

 一流大学工学部出身で、自らもエリートと任じ、大企業に入社したのだが、たまたま人事異動で上司になったそうだ。そのお陰で、人生の考え方が一変したという。
 2年間に渡って、文字通り全身全霊をささげ、血の滲むような努力を二人三脚で戦ったのである。生活すべてが、技能オリンピックのためにささげられた。

 間違えてはいけないが、作業訓練ばかりしているのではない。
 企業内での規律や社会人としてのたしなみも、こうした訓練に含まれている。それこそ、身だしなみから、身のこなし方まで、徹底的に学んだという。

 詳細を述べなくてもおわかりになると思うが、「人つくり」が行われていたのである。

 おそらく、現在ではとても考えられない。

 これが当時の日本の製造現場の雰囲気だった。
 欧米企業に比し、研究開発力が微々たるものだった日本企業にとっては、製造現場の「人づくり」は、なににもまして重要だったのである。

 ここから学ぶべきは、精神論ではない。
 リアリズムの視点で、もう一度振り返って欲しいと思う。

 もしも従業員の知恵を生かそうと考えているなら、「人づくり」が原点にある筈なのである。そして、その人達の知恵を生かす場面が設定されていなければおかしい。
 重要なのは、どんな人をつくり上げたいのか、どのように知恵を発揮するか、という点である。

 技能オリンピックでの成績など、はっきりいってどうでもよいのである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.pref.shizuoka.jp/syoukou/syo-2007/
(2) http://www.javada.or.jp/jigyou/gino/kokusai/kokusai.html
(3) http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005102971208


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