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2006.2.21
 
 


問題ありません…

 2006年2月4日、有馬線で脱線事故が発生した。
 「時速十五キロ以下で駅構内に進入した。後ろ二両が脱線し、引っ張られるようにして止まった」(1)のだという。

 ほんの2週間前の、1月22日にも、同じ有馬口駅付近で、回送電車が脱線したばかりである。
 いずれも、原因はわかっていないようだ。

 ところが、「安全は確保できると考えている」そうだ。

 脱線しても安全と言えるなら別だが、常識では、この発言を嘘と言う。
 確保しているのは安全ではなく、決められた安全基準でしかないからだ。安全基準を遵守していても、脱線したのだから、安全確保はできなかったのである。確保できなかった証拠がつきつけられているのに、安全を確保できると堂々と主張するのだから驚きである。

 正直に言うべきだろう。
 「今後の脱線の可能性は否定できません。しかし、原因がわからないので今のところ対処のしようがありません。」
 「脱線しても、けが人が出ない程度ですみそうですから、運行することにしました。」
 絶対安全など有り得ない。そして、運行以外に選択の余地もないのだろう。運行停止でもしたら、それこそ一大騒動勃発かもしれない。

 しかし、記事は、電鉄会社は「独自の判断で運転再開」と伝えるだけ。おそらく、“独自の判断”と記載したところがミソである。
 電鉄会社や当局に、原因究明と再発防止策をしっかりたてろ、とキャンペーンを張るための仕掛けだと思う。
 正しいことを追求しているつもりなのだろうが、ビジネスマンからみればドグマ論者に映る。
 これは、最悪の追求のしかたではないのか。

 先ず、顧客の視点が完璧に欠落している点があげられる。
 そもそも、運行停止などされたら、困り果てるのは利用者の方だろう。しかし、普通の人なら、2度あることは、3度あると考える。大いに心配である。これからも度々脱線が発生するのではないかとも感じるだろう。従って、今後も頻繁に発生する可能性は無いと判断した根拠を聞きたくなる。
 わからないという答えなら、それでもしかたあるまい。又、2週間後に発生する可能性があるというだけのことである。

 当然ながら、聞きたいことはこれにとどまらない。

 どうして、ジャーナリストはこのような質問を浴びせないのか理解に苦しむ。

 一番気になるのは、脱線した時、死傷者が発生する可能性はないかという点だ。駅に入る時につり革をしっかり握る程度の対処で十分なのかも気になる。
 そして、最悪の場合を想定して、被害を抑える手立てをしたのか。その効果はどの程度か。・・・
 なんの情報も無い。
 この脱線問題の重要性がどの程度なのか、さっぱりわからないのである。もしも、大事故の予兆だったら、大変なことである。そんなことを言った人がいるのかも知りたいところだが、面倒なのか、何の解説もない。

 さらに問題なのは、「しっかり点検せよ」と掛け声をかけたい雰囲気が、記事から、伝わってくる点である。

 一見、当然に思える姿勢だが、この場合は、副作用の方が大きい方針だと思う。
 いつになったら解けるか皆目見当もつかない問題とわかっているにもかかわらず、「原因究明と再発防止策をしっかりたてろ」と発言し続けるだけのリーダーは最悪なのだが、そうした動きを支援することになりかねないからだ。
 訳もわからず、時間と労力を使って、人々を右往左往させて、大騒ぎさせる可能性が高いのである。こんなことは愚の骨頂ではなかろうか。

 安全確保は、精神論では乗り切れない。皆が頑張っても、肝心なことが抜け落ちかねないから、危険性はかえって高まることが多いのである。
 最初に手をつけるべきことは、最悪の事態を想定し、その危険性を皆に認識させることである。その先の手順は語るまでもなかろう。

 ありません問題の解決は難しそうである。

 --- 参照 ---
(1) http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/00047758sg200603040800.shtml


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