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2006.8.10
 
 


交通安全対策は転換期では…

 “安全は 心と時間の ゆとりから”

 確かにその通りでと思う。特に、夏は、交通事故が増加するから要注意である。子供はチョロチョロ出てくるし、暑くて気がせくからかも知れない。

 有難いことに、2006年の交通事故死者数は一貫して前年より減少し続けている。(1)
 ずっと、順調に下がっており、嬉しい限りである。

 この現象を見て、交通安全運動が奏功したと喧伝されているが、はたしてそうなのか。
 死者数減少の一方で、事故発生件数と死傷者数は減る傾向があるとは言い難い。これで効果ありという理由がよくわからないのである。
 それでも、ようやく頭打ちにはなってきた。それぞれ、90万件、120万人弱だ。(2)

 それでは、どう考えるべきか。
 事故の数が減らないのに、死者の数が減っているのだ。事故があっても命が失われなくなったか、重大事故が減った、ということである。

 前者でいえば、死者減少の最大の理由は車の安全性向上が寄与したのではないのか。
 前席にシートベルトが100%つくようになったし、耐衝撃型車体が増えたことが大きいのだと思う。
 これだけ効果があるのだから、さらに徹底化を図るべきだと思うが、そんな動きはないようだ。企業まかせということだろうか。

 車の装備の質を高め、その機能を100%生かせるような仕組みを作れば、これだけの効果があがることがわかったのである。それなら、この方向で、どしどし新たな施策を打てはよいのではなかろうか。

 衝突警告や、死角防止など、車の装備でできることは山ほどある。しかも技術的に難しい訳でもないし、格段に高価につく訳でもない。
 従って、一歩後押しできれば、普及できそうなものばかりである。バリアは、そうまでして事故を減らす意志があるか、ということに尽きる。
 政治におけるリーダーシップとは、事故防止の意義をはっきり伝え、大きな一歩を踏み出すことと思うが、残念ながらそんな動きは感じない。

 一方、重大事故が減った可能性もある。地方の反対ムードを押し切って、飲酒運転の罰則強化が図られたからである。
 但し、飲酒運転が減って、事故数が減ったならわかるが、事故の総数は減っていない。従って、これが寄与しているかは疑問である。

 もともと、飲酒運転禁止など、誰が聞いても常識である。しかし、こんなことさえ守れない社会なのだ。罰則が強化されたところで、見つからなければよいだけのことである。地方の実態からいえば、未だに、笊規制の可能性なきにしもあらずである。

 なにせ、路線バスの運転手が飲酒勤務できるのだ。しかも、マスコミが、これを“あってはならないこと”だから、管理システムをしっかりせいと言う。(1)
 そんな問題ではなかろう。どんなを仕組みを作ったところで、アルコール依存症の人が運転している限り、飲酒運転は必ず発生する。

 企業に本気で無くさせようというなら、運転手全員の検査を義務付け、酒気があれば即刻懲戒解雇との規則を導入するのがベストである。しかし、そんなことをさせたくないのは、実は企業ではない。

 どうして、こんなつまらぬ話をするかと言えば、リアリズムに徹して欲しいからである。
 ルールを守らない人がいるのがわかっていながら、“ルールを守ろう”運動ばかりに注力していてよいのか、ということである。
 もともとルールを守っていこうと考える人達には、注意を喚起する上で“ルールを守ろう”運動は大きな意味はあるが、ルール無視の連中にいくら呼びかけたところで効果はゼロである。
 そういった人がいることを前提として、どうすれば重大な交通事故を防げるか議論する時代に入ってきたのではないだろうか。

 理想論の交通安全対策からそろそろ脱皮すべき時期だと思う。

 --- 参照 ---
(1) http://www.npa.go.jp/toukei/koutuu1/month.htm
(2) http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h18kou_haku/h18koutugai-1.pdf
(3) http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2003/sha20030820.html


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