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2007.9.6 |
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流行の食の四字熟語について…食をめぐる四字熟語は沢山あるようだが(1)、時代によって、流行る言葉が変わってくる。少し前は「□肉□食」が必ず話題になった。言うまでもなく「焼肉定食」。 「弱肉強食」批判より、焼肉定食でも食べて、元気を出して仕事に励もうという若者のセンスに脱帽。 最近は、「身土不二」をよく耳にすることが増えた。 こちらは、教条主義的な主張のなかで多用されているような気がする。 地元で作っているものだけを食べていることが、体に一番よいことは、こんな言葉があることでもわかる、・・・と言った使い方がされている。 ご紹介はしないが、非科学的な主張が含まれていることもあり、「信仰」に近い用語になりつつあるような気がする。 信仰者には、うかがいたいものである。 輸入品のバナナやオレンジ等は食べるべきでないということか。 あるいは、沖縄に住んでいる人は、ゴーヤだけ食べていればよく、青森産の林檎など食べるな、ということか。 まさか、東京に住む人は、北海道産の牛乳など飲まず、多摩産を選べとまでは言わないと思うが。 豊かになると、一昔前を忘れてしまう人が多いようだ。 少し思い出せば、日本の食生活は「身土不二」どころでなかったのは明らかだろう。例えば、東北地方では、もっぱら地元産品を食べ続けており、塩蔵・乾物品に頼りがちだった。それは拙いということで、食生活改善をしてきたからこそ、長寿者が増えたのだと思う。昔の食生活が優れていたなどという主張は、歴史の偽造に近いのではないか。 それに、日本は、水が軟水であることからわかるように、地元産品ばかり食べていれば、ミネラル摂取量は不足するのではないだろうか。どのように対応してきたかは知らないが、おそらく干した海産物などで、補っていたのだと思う。土からだけで足りる訳がないのである。 何故、こんなことを語るかといえば、健康増進から遠ざかるような主張を見かけるようになってきたからである。特に問題なのは、地元で採れる山菜を毎日のように豊富に摂取することをお勧めするような主張。 癌予防の観点から言えば、大量に食べるべきではないのは自明ではないのか。食材のバラエティを減らすようなアドバイスは有害である。 「身土不二」を主張するなら、先ずは土壌について、しっかり調べて欲しいものである。 昔、いもち病対策で、農薬を絨毯爆撃的に散布してしまった地域かも知れないし、水脈の上流に廃鉱があり、重金属が流入しているかも知れないのである。そんな土地の人が、地元産だけ食べていたらどうなるか考えるだけで恐ろしい。 どの程度のリスクがあるのか確認もせずに、地元食材ばかり食べ続けることを推奨すべきではないだろう。 ・・・と言っても、おそらく、「身土不二」は、全国至るところで語られている「地産地消」のプロモーション的なもので、たいした意味はないのかも知れぬが。 ただ、この「地産地消」も厄介な言葉ではある。(2) 下手に解釈されると、地域だけの閉ざされた経済に進みかねないからだ。 そうなると、地域経済のさらなる低迷に進む可能性も無いとは言い切れない。 地域振興を考えるなら、「地産地消」ではなく、「土産土法」にしていればよかったのに、と思う。 「土産土法」は、「地産地消」と違って、地域土着の食文化の発露を重視するニュアンスが強いからだ。モノだけ作って、その使い方はそちらで考えろというのではなく、食べ方のノウハウまで提供するから、文化として光ってくるのである。 モノではなく、食材を生かす知恵があるから、魅力が生まれてくるということ。 在来種の野菜にしても、そのルーツは大概は導入品。それを、研究開発して改良したものにすぎない。どのように改良するかは、ケース・バイ・ケースだ。単位面積当たりの収量増を狙ったものもあれば、地元の料理に合うような味や食感が出せるように作ったものもあろう。食文化に合わせた食べ物ということである。 現在も、ただならぬ労力で各地で品種改良が行われているが、いくら優れたモノを出しても、市場内での他地域の産品競争では、勝ったり負けたりしているだけの話だろう。 別に難しく考える必要などない。それこそ、過疎なら、過疎ならではの食文化がある筈で、これを商品にするという発想で動くということ。 例えば、都会のお金持ちを引き寄せる作戦など、お勧めだ。成功すれば、その消費力で、地域経済は一気に伸びることもあり得る。地域内経済の活性化を目指したところで、もともと成長余力が無いのだから、成果があがる保証などない。 お金が動いている地域で活躍している人達と、自分達の経済活動をどう結びつけるのかを、しっくり考えない限り、活路は見つからないのではないか。 こんなことを考えるのは、本気で、観光客を集めたいとか、別荘誘致をはかりたいなら、「地産地消」型の動きはお勧めではないからである。 「地産地消」でよいのは、地域文化がすでに認知されていて、その魅力が認知されている地域の話である。 そんな文化が無くなっているのに、無理に昔の話を持ち出す地域が目立つが、そんな手立てが成功するものだろうか。包装紙を変えたところで、中身がともなわなければ、普通は一過性で終わるものだ。 本気で地域を振興させたいなら、「旬産旬消」でもよいのだ。 都会では、食で季節感を楽しむことは、贅沢になりつつある。 昔は、その逆で、時期外れの産品を食べることが嬉しさだったのだが、今や、たいていの産品はいつでも手に入るようになってしまったためである。東京では、全国・全世界から産品が並んでおり、産地間での熾烈な競争が一目瞭然である。 しかし、もともとは、日本の食文化の特徴は旬だ。新鮮さを喜ぶ風土ということでもある。従って、こんな状態が嬉しい訳ではなかろう。 生活にゆとりができれば、旬を楽しみたくなる筈である。「旬産旬消」だけでも、都会の住人の琴線に触れるのは間違いないと思う。 早い話、「旬産旬消」の生活をしている所には、それだけで類稀な魅力があるということである。 例えば、こういうこと。 一般の牛乳は、都会は多少高価と言っても、日本全国価格はたいして違わない。味にしたところで、地元の牛乳と大手ブランドが大きく違うことはなかろう。 しかし、これが、ノンホモの低温殺菌牛乳になると違ってくる。 都心では置いてないことが多いが、陳列されていても、安くても1リットル300円以上と高価だ。運ぶだけで面倒だから、当然だろう。 しかし、都会から離れると、これが200円台だったりする。売り場と工場が近いということだろう。工場と搾乳場も近かったりすれば、そのイメージは、まさに新鮮そのもの。 そして、飲めば、味が違うなら、これは素晴しい商材である。あとは、どう生かすか考えるだけのこと。 野菜でいえば、?ぎたての玉蜀黍や枝豆をすぐに茹でて食べるようなもの。食べれば、誰でも新鮮な野菜の美味しさを実感できる筈である。 こんな食べ物を味わう習慣が残っているだけでも、その地方には魅力があると言ってよい。 都会では、お金を出しても、こんな食にはありつけないからである。 --- 参照 --- (1) http://www.meshi.net/jyukugo.html (2) 農林水産省: 「地産地消に関する意識・意向調査結果」 [2007.3.12] http://www.maff.go.jp/www/chiiki_joho/cont/2007031201cyosa.pdf (イラスト) (C) yoshie ヴィラージュ・クッキング素材集 http://homepage1.nifty.com/steak/sozaisyu.htm (参考) JAMES E. McWILLIAMS: “Food That Travels Well” NewYorkTimes [2007.8.6] http://www.nytimes.com/2007/08/06/opinion/06mcwilliams.html?ex=1187841600&en=651782e58caed36c&ei=5070 ・・・欧州の環境保護運動が「food miles」の視点で動いているが, これに対して自由貿易論者の米国はどう見るかがわかる. 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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