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2007.10.1
 
 


岡野工業の教訓…

 岡野工業株式会社 代表取締役社長、自称、代表社員の岡野雅行氏のインタビュー記事の話をした人がいたので、ちょっと読んでみた。そして、書き留めておきたくなったという訳である。

 岡野雅行氏といえば、講演やインタビューでひっぱりだこ状態が何年も続いており、ベストセラー本もある。魅力的な方だし、町工場の親爺口調での笑い話の連発で、一端聞き始めると、ほとんどの人がその話に引き込まれてしまうと思う。
 そんな状態で、いまさら、素人が感想を述べる意味もないのだが、実は、この記事が掲載されているのが日銀の雑誌で(1)、インタビューワーが日本銀行情報サービス局長だったので、コメントしてみたくなった。
 この記事の取り上げ方は、“人がやらないからこそ燃える”というもの。
 まさか、日銀発刊誌が現場で働くモノ作りの人たちに元気を与えようと考えている訳ではあるまい。“燃える”といった類のステレオタイプのタイトルでない方がよかったと思うが。

 別に、“燃える”という言葉が嫌いな訳ではないが、技術を徹底的に追求する町工場の親爺像はいかがなものか。技術屋が頑張り大成功などという、時代がかった発想に近く、このようなタイトルはそろそろ願い下げにして欲しいものだ。

 と言うのは、ビジネスマンなら、技術に“燃える”だけで成功に繋がる筈などないことは、わかりきったことだから。おそらく、すぐに次のような質問が飛び交うだろう。
 ・ビジネスチャンスを見つけるために、顧客とどのように交流したのか。
 ・親の代から働いている、方針に反対した従業員に、どのように対応したのか。

 前者に関しては、常識から言えば、潜在顧客のキーマンを食事に招待し歓談したに違いないのである。特別な技術があったからといって、黙っていて顧客が寄ってくることなど滅多に有り得ない。普通は接待から始まる。本当のところを知るためには、お互いの人となりを知る必要があるからだ。緊密なコミュニケーションなくしては、何が技術的な障害かさえわからないからである。下手をすれば、たいした問題でもないことに注力しかねないのである。全力投球して見返りが期待できるか、洞察力を働かせるためには、接待は不可欠と言った方がよいかもしれない。接待無しで終わればこしたことはないが、ニーズの本質を見抜くためのコミュニケーション活動が勝負なのだから、会食は一番簡単な方法なのである。技術に“燃える”と、買ってもらえる商品が生まれることなど稀である。
 このインタビュー記事は、そんな話を彷彿させる、岡野雅行氏の子供時代の話から始まっており、そんなビジネススタイルを暗示させるところが秀逸といえよう。
 技術営業とは実はそういった類のものである。接待活動ですぐに仕事がもらえることなどありえない。下手に、接待漬けで腐れ縁を狙ったりすれば逆効果になりかねないのである。もちろん、腐敗した産業もなくはなないが。
 そうなるのは当たり前。顧客の技術担当者は忙しい人達なのだ。社会通念上、取引先から会食のお誘いがあれば、できる限り受けるだろうが、ご挨拶だけの会食や、訳のわからぬ宴会に時間を割ける状況ではない。
 様々な話をしながら、どのように考えているのか知りあうことで、ビジネスチャンスの拡大や、円滑にプロジェクトを進めたいからこそ宴席に出席するのである。もしも、そんな意義がなければ、無用な会合。
 そうなったら、どう対応するかは、わかりきったこと。例えば、1年間の接待リストを作成して、翌年の価格交渉に臨むことになる。通常のコストダウン交渉がほぼ決着したところで、人件費込みの推算接待費用分を示して、本年から会食費をゼロにして、その分の値引きを迫るのである。
 これがビジネスの実態である。

 話がはずれたが、次は後者についても話そう。
 こちらは人事問題。おそらく、大変なことだったろう。技術的に無謀と主張する職人もいただろうし、新しい挑戦に拘るより、今までの顧客関係の方を大切にすべきと主張する人もいたに違いない。そう信じている人に、説得は難しかろう。本気で“燃える”とは、こうした反対者には辞めて頂くことを意味する。ここまで踏み込まない限り、一歩も進まないのである。“人がやらないからこそ燃える”とは、技術的に困難と見なされ誰もやらないから、そこを狙ったというだけではすまないのである。波風を立てても、これを実現しなければ立ち行かなくなるとの緊張感が組織に満ち溢れない限り成功はおぼつかない。ここを読み取ることが重要だと思う。
 そんなことは個人経営の町工場だからできたという人がいそうだが、そんなことはない。今のまま同じことを続けていれば立ち行かないことがわかれば、大企業だろうが、中小企業だろうが、抜本的な改革を断行するしかないからだ。できないのではなく、経営者がそんな道に進ませないようにしているだけのこと。

 技術を徹底的に追求するために“燃える”という表題は、下手をすると技術的なロマンの追求に映りかねない。岡野雅行氏の考え方は、その対極にある。こちらにハイライトが当たるようにして欲しいものである。

 昔の例で恐縮だが、外苑前にあるTEPIA(機会産業記念事業財団)で「元気印」町工場の展示(2)を見たことがある。そこでの取り上げ方を例に、もう少し説明を続けよう。
 ここでの紹介の基本パターンは、匠の技術で生き抜いている、小さくても輝いている企業というもの。こうした経験談から学ぼうと言うのだろう。

 ここでは、 “夕方受注し、翌朝納入というような離れ業は日常茶飯事で、「他所がやらないことをうちが引き受ける」といった下町気質で頑張っています。”と語られる。

 ケチをつけているように感じるかも知れぬが、我慢して聞いて欲しい。ここが肝要だからである。
 町工場だろうが、大企業だろうが、どうしても必要と判断すれば、できる限りのことをするのは当たり前。
 そして、一つのことをすれば、他のことはできなくなる。
 常識で考えれば、後回しにできるような仕事を沢山抱えているか、暇にしていなければ、翌朝納入といった対応が簡単にできる訳がなかろう。その点では確かに“離れ業”だが、無理な対応なら、それは必ずしも競争力向上に寄与していないのかも知れないのである。このような記述は間違った見方につながり易いから要注意である。

 間違って欲しくないが、過度な労働につながりかねない翌日納入対応姿勢を批判しているのではない。長期的に見て、その努力に見合ったリターンが生まれているのかということ。もし、そうでないなら、賞賛どころではない。ここが自明でないから、この記述を避けた方がよいと思うのである。
 大企業がそんなことをしないのは、特例的な対応はとてつもないコストが発生しかねないからである。顧客から僅かな割り増し金を頂戴した程度ではとても相殺しかねるのだ。しかし、その一方で、迅速納入をウリに、ビジネス展開をしている企業もあるのだ。つまり、どんな戦略で臨むかで、対応姿勢は変わるということ。ところが、町工場は、すべてそんな対応をしていそうな描き方になる。ここに、違和感を覚えるのだ。
 町工場には、翌朝納入に上手く対応できる特別な仕組みでもある訳でもなかろう。

 岡野社長なら、おそらく、翌日納入こそが町工場の強みなどという話などしないと思う。
 非合理的要求と見なせば断ると思う。こうした判断こそが経営の質に繋がる。岡野社長の素晴らしい点は、長く付き合ってきた顧客でも、コストカットだけを要求され始めると、関係を絶つという姿勢である。
 普通はこれができない。仕事が減れば倒産の道につながりかねないと称し、受注を優先するのである。そして、無理なコストダウン要求を、中小企業いじめと語る。

 理解しがたい主張である。
 安価な調達先があるのに、長く付き合ってもメリットがない企業に発注し続けろという主張に聞こえるからだ。
 もしメリットがあるにもかかわらず、安価な調達を選ぶような顧客だったら、経営の質が悪い顧客ということ。そんな企業とつきあっていえれば共倒れになりかねない。離れて食べる算段をつけるのが経営者の仕事だろう。
 なかには、資本コストを割り込むビジネスでもなんとか受注して、業務を続けようという経営者もいる。町工場だけではなく、大企業にも少なくないが、経営者が潰れる道を選択したということだ。資本を皆で食い潰す悪質極まる経営と言わざるを得まい。真面目な経営者なら、どうせ潰れるなら、早いうちが傷が浅くてよいと考えると思うが。

 何が言いたいのかおわかりだろうか。
 要は、経営の質である。岡野工業から学ぶべきは、技術に“燃える”話ではなく、経営の質の方である。

 他所がやらないことをやっても、成功しない企業も多い。これは、情熱が不足していた訳ではないのが普通だ。素晴らしい商品を作っても、売れずに、資金がなくなって頓挫する例はいくらでもある。
 見習うべきは、自分達の強みを見抜いて、経営原則に反することなく事業を進めている点だと思う。

 もともと、岡野工業にしても、同じような沢山の町工場のなかの一つだったのである。
 それほどたいした違いはなかったが、やがて淘汰が始まり、残ったということ。要するに、「残り物には福」でもある。

 考えるべきは、ここである。
 全く新しいことに挑戦し、潰れてもともとというハイリスクハイリターンを狙うベンチャーとは違うのだ。
 確実に高収益が狙えるような仕事を主体にするしか生き延びれないのである。それには、他社が作れない商品であってもよいし、他の方策もあり得る。要は、知恵の勝負の勝者なのである。技術の巧拙ではない。
 こんな例は珍しくない。
 工芸品ビジネス領域でそんな企業を探せば、いくらでも見つかるに違いない。江戸時代は繁栄していたかも知れぬが、淘汰されてきたのだが、それこそしぶとく生き残っている企業も少なくない。言うまでもなく、一番わかり易い生き残り方法は、匠を目指すことだろう。皆頑張ったのだと思うが、ほとんどは失敗して廃業だ。同時に、皆、なにか新しい展開はないか鵜の目鷹の目で探した筈である。しかし、いかに力を入れても、成功する企業はほんの一部。

 ここで、生き残れた企業の特徴とはなにか。
 たいていは、高収益と目される領域や成長産業で新機能製品を生み出すことに成功した企業である。金箔ビジネスを電子産業に展開したとか、書道用筆をメーキャップ用筆に進めたとか、探せばそんな例はいくらでもありそうだ。
 こんなことは、老衰期に属す技術を持っている企業が採るべき基本的な技術戦略であり、遠の昔から知られていたことである。

 しかし、こんな戦略論を学んだところで、おそらくたいした意味はない。今、日本の中小企業が抱えているのは、こんなレベルではないと思う。経営の質が劣化しているのである。方法論など学んだところで効果はでない。
 “燃える”という以前に、問題の立て方がおかしい。根本から思想を変えない限り、どうにもならない。
 その点では、岡野工業はよき先生だ。

 はっきり言えば、町工場は儲かるという考え方に転換しないかぎり、いくら頑張ったところで駄目である。
 自律したビジネスができるなら、経営者に才覚さえあれば、高収益が実現できる筈である。これを否定している経営者に状況を打開できる訳がない。  中小企業は、資源が限られているから、無理はできない。当然、手堅いビジネスに徹することになる。まともに手堅い経営を進めるなら、資本コストがもともと高いのだから、高収益化は必然なのである。

 ところが現実はそうならない。
 何故かと言えば、企業経営より、世間体を優先するからである。一見、社会性を発揮しているように見えるが、周囲は、経済原則が働かない官庁納入型ビジネスだらけ。そんな環境で周りに合わせれば、没落の道しかない。儲からなくて当たり前である。
 その点では、岡野工業のビジネス魂こそ学ぶべきものと言えよう。
 「うちの金型を使って仕事をしているプレス屋さんのほうがずっともうけていることに気がついたんだ。いい金型を作ってやっているのはうちなのに、どうもあいつらのほうがもうけているのはおもしろくねえ。」
 中小企業の収益性が悪いのは、構造や、他人のせいではない。

 --- 参照 ---
(1) 「インタビュー: 人がやらないからこそ燃える」 にちぎん No.9 [2007年春]
(2) 「第11回展示 ものづくり展 11.元気印コーナー」 [1998年] http://www.tepia.jp/archive/11th/mono/mono11.html
(歯車のイラスト) (C) E-ARTjapan


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