↑ トップ頁へ |
2007.12.26 |
|
|
「お坊ちゃん政治家」の時代だそうである…たまたま、政治家の学歴を調べていたら、気になる記述に出くわした。題して、『「お坊ちゃん政治家」の時代』。冒頭部分に目を通しただけなので、その趣旨を読み違いしているかも知れぬが、現実認識がずいぶん違うので驚いた。 「世の中の流れを見ると、東大法学部を出た首相は宮沢首相で終わって、あとは慶應大と早稲田大の出身者ばかりになった。その流れで、次は成蹊大や学習院大になっても不思議はない」(1)というのだ。
そして、偏差値の高い大学から首相は選ばれなくなる傾向があるということだろうか。 単なる世襲にすぎない議員が主流になれば、そんな流れが強まるとの論旨かも知れぬが、東大法学部論には違和感を覚えた。 「東大法学部を出た首相は宮沢首相で終わって」とされているからだ。 東大法学部は官僚と教授を沢山生み出しているが、首相は未だに一人も輩出したことがない。 宮沢喜一(1919〜2007年)首相は「帝大」卒であり、新制「東大」卒ではない。可能性があったのは、「宏池会」を継いだ加藤紘一元幹事長だが、首相の座は獲得できそうにない。東大法学部卒の議員は多いが、確かに、リーダーシップを発揮している人は少ないようだ。 こんなどうでもよさそうなことが気になったのは、先日、小渕恵三首相の人となりを教えてもらい、政治家の学歴に興味を覚えたからである。 小渕首相は、学習院中等科から都立小石川高を目指したが、都立北高に入学。そして、東京外語大を受験したが二浪。結局、早大文学部英文科卒。真面目に勉学に励んでいた、東京の受験世代の典型的姿と言えよう。 二世ということで、政治家にかつがれてからも、一生懸命裏方の仕事をしてきたそうだ。
東大法学部首相の時代があったと言えるか、大いに疑問だ。 まず、日本の高度成長を築いた田中角栄首相だが、自ら尋常小学校卒をウリに、数字がわかる土建家イメージを振りまいていた。東大法学部卒の政治家イメージとは正反対。資金力と官僚人事采配の上手さ抜群と言われており、いわゆる角福戦争で強引に勝利をもぎ取った。 ロッキードスキャンダルで失脚して、傍流の三木武夫首相が誕生したが、明治大学出身。 当然ながら党内基盤は脆弱だから、すぐに政権は崩壊。継いだのは、“アーウー”発言の大平正芳首相である。大蔵官僚出身だが、一橋大学出身だから異端と見てよいだろう。それに、不思議なことに、政治家にしては、インテリ臭を感じさせた。急逝で、後を継いだピンチヒッター役の鈴木善幸首相は水産大学卒だった。 残りの福中だけが帝大卒である。と言っても、英才と言われていた福田赳夫(1905〜1995年)首相は大蔵官僚で、中曽根康弘(1918年〜)首相は内務官僚の出身なので、肌合いは相当違う。出身大学を一くくりにしても意味はなかろう。 「三角大福中」時代の先は、竹下登首相、宇野宗佑首相、海部俊樹首相と続く。もちろん、皆、東大卒ではない。 そして、帝大卒の宮沢首相となるのである。混乱政治の幕開け。 ここで終わったのは、帝大法学部出身の首相と言うより、自民党の一党支配ではないのか。 “あとは慶應大と早稲田大の出身者ばかり”というのだが、少なくとも、非自民党政権時代は全く当てはまらない。 意図的に、この部分を消し去りたかったのだろうか。 宮沢内閣不信任が可決され、日本新党が躍進して、突如生まれた細川護熙首相は上智大学出身。 何をするつもりか、よくわからないうち、突然辞職し、短命政権で終わった。次の内閣は、さらなる短命。この時の羽田孜首相は成城大学出身。 そして、内紛で内閣崩壊。社会党の村山富市首相の登場。明治大学出身。自治労系イメージが強かったが大分市議会出身だそうである。 まあ、どの内閣にしたところで、首相がリーダーシップを発揮するどころではなかったから、無視しても当然かもしれぬが。
しかし、早慶卒という見方にどういう意味があるか、ははなはだ疑問。 民主党のリーダーも合わせて学歴を見ればさらによくわかる。そもそも学部がばらばら。 それより特徴的なのは、ほとんどが、麻布や都立小石川(学区制の頃)という、当時の東大受験高校卒という点だろう。つまり、東大に入学していたかも知れないということ。 実際、民主党の、小沢一郎代表は東大受験で、2年浪人したらしい。 要するに、そこそこ優秀な成績で東大受験高校で学んだ、政治家の子弟というのが特徴だろう。 それが、「お坊ちゃん政治家」、安倍晋三首相の誕生で崩れたということ。 もともと、二世議員が多いのは、よく言われるように「地盤・看板・鞄」が効くからだろうが、それは本質的な問題ではない。 選挙民が、地元の社会構造を揺るがすことが無い、一番無難な人を支援しているだけのこと。官庁とのパイプを持ち、地元の利を考えてくれる議員なら誰でも結構というにすぎない。 そんな議員達をまとめていくリーダーが首相に選ばれる時代である。 言うまでもないが、“地元の利”の意味するところは、兼業農家を守り、農協職員や公務員がこの先も安穏と暮らせるように工夫し、大幅な過剰労働力を抱える土木/建築・卸/小売業をできる限りそのまま持続させる政治を期待しているということ。 そんな要求に応えなければならない議員をまとめるのだから、どんな政治家が向いているかは、いわずもがな。 経済の衰退を余儀なくさせる、税金の無駄遣い政策を強行しながら、それを目立たせない話題つくりができる政治家が大歓迎されるということである。はっきり言って、政策の題材はなんでもよいのである。 「お坊ちゃん政治家」の時代到来との見方は、この本質を覆い隠そうとする言辞ではないか。 --- 参照 --- (1) 日下公人:“「お坊ちゃん政治家」の時代” nikkeiBPnet [2007.11.16] http://www.nikkeibp.co.jp/news/biz07q4/552131/ (2) 木走日記「2006年国会議員学歴調査(保存版)」 [2006.5.1] http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060501/1146458788 (内閣総理大臣の一覧) Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 (国家議事堂の写真) (C)東京発フリー写真素材集 http://www.shihei.com/tokyo_001.html 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2007 RandDManagement.com |