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2008.8.28 |
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「The Fourth Three-Months」の話…2008年7月10日、世界的に著名な物理学者が亡くなった。丁度その日は、対談掲載誌の発売日でもあったため、皆驚いたようである。(1)翌月の雑誌に奥様の手記が掲載されたが、これを読むと、仕事一途で休むことなく走り抜いた方だったことがよくわかる。余命を告げられてからは、ブログを通して、癌や環境問題についても熱く語り始め、手抜きの生活など、とてもできかったのだろう。 そのブログ最後の書き込みは、7月2日。“今日、病院に外来で来ましたが、残念、そのまま入院になりました。”この後、奥様にパソコンが渡されたという。 → 「The Fourth Three-Months」 戸塚洋二先生のblog こんな話を聞くと、壮絶な闘病生活と思ってしまうが、できる限り平常心を貫いておられたようだ。・・・“悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。” [Blogで、正岡子規の一言を引用: 2008-05-27] そんな話を読んでいて、同じように大腸癌で逝った脳外科の先生を思い出した。 白金辺りで犬のお散歩はされていたものの、働けなくなる直前まで、手術や患者さんへのアドバイスに全力をあげておられた。ご自身のブログへの書き込みも熱心で、脳腫瘍の患者さんの内輪の掲示板にも貴重なコメントをされていた。 しかし、ほとんどの人は、余命何ヶ月の大腸癌患者さんとは思いもよらなかったのである。手術が必要な患者さんの方が深刻に悩んでいたと言ってもよいかも。 それに、昔、企業内ネットワークで交流していた、米国人の経営幹部の印象もダブってくるのだ。癌を患っていたが、亡くなる直前まで、仕事を続けていたからだ。忙しいにもかかわらず、記事のコピーを送ってくれたり、平常となんら変わるところはなかった。その姿は、壮絶でもなんでもない。「今」生きることに精力を注いでいたにすぎない。 「The Fourth Three-Months」は、大腸癌とどのように生きていくか、悩んでいる人達には、よく知られるブログだったらしいが、ご本業に関係する話も時に登場していたから、それ以外の人も読んでいたようである。 なかでも、素粒子研究についての話は、秀逸。もっとも、小生が読んだのはその一部にすぎないが。 → 「戸塚洋二の科学入門 」 (C) 戸塚洋二, 東京大学 立花隆ゼミナール まあ、素粒子に関しては、その程度の興味しかないのだが、何故、このブログを読んだかといえば、科学技術政策論が語られていたから。巨大実験科学に携わる方々が、科学政策をどのように考えているのか、今一歩、よくわからないところがあり、貴重な情報源だったのである。 なにせ、素人的には、高級ブランデーの価格の重水で満たした水槽に、超高精度なセンサーを取り付け、素粒子の挙動を探る実験を繰り返す研究ということになる。しかも、高精度実験機器の開発や用途開発は別として、素粒子挙動研究の成果が直接経済発展に役立つことなど考えられまい。 一本のファイバーに様々な情報を多重化して送信するといったタイプの基礎科学とは訳が違う。 ただ、この違い自体に興味がある訳ではない。 知りたいのは、成果を狙うために、どんなマネジメントスタイルをとっているかということ。本を読んでもさっぱりわからないが、科学技術政策論を聞いていると、なんとなくわかってくるから面白いのである。まさに、興味津々。 説明しないと、この感覚はわかりにくいかも知れない。 巨大実験科学の分野では、ヒト・モノ・カネのマネジメント能力が不可欠である。いくら仮説創出能力があったところで、実験ができなければ成果ゼロ。従って、実験設備設計から始まり、施設運営にも係わらないと先を歩むのは無理。それができた上で、膨大な実験データを処理する必要がある。米国なら当たり前の話だが、この手の大組織の研究は、日本で行うと、たいていは成果はでないと言われている。俗にいうヒラメ研究者(上しか見ない)ばかりが集まってしまい、知恵がでなくなるからだ。 どうして上手くやれるのか、大いに気になるではないか。 まあブログを読めばわかるというものでもないが、なんとなく感覚が伝わってくる。・・・多分、政策的には、こんなところではないか。勝手な想像だから間違っているかも知れぬが。 ついでに、コメントもつけてみた。 ・基礎から応用、さらに商用化へと進む、リニアモデルを是としている。 ・・・これは大国だけが追求できる路線。日本の国力は下がりすぎており、もう無理だろう。 フェーズ間の深い溝を乗り越えるためのコストは膨大。 「国」を無視するか、違うモデルが必要である ・海外に負けるなの旗の下、当たるも八卦で、プロトタイプ無しの実用化に進む姿勢には反対の姿勢だ。 ・・・産業に係わる巨大科学はそんなもの。 基礎研究分野は弱体でも、研究者・エンジニア人口が多い分野は少なくないのである。 雇用問題をさけるためのプロジェクトが要求されることになる。 GXロケット、自由電子レーザー、京速計算機、等々いくらでもある。 ・潤沢な予算があると、知恵が湧かなくなるとの経験論を大切にしている。 ・・・知恵を生み出す根源は、創造性を発揮させる緊張感だと思うが。 ふんだんな研究費を浪費するだけの研究室を見かけるということか。 ・重点化や競争には肯定的であり、ルールに基づいた透明な仕組みを是としている。 ・・・それが奏功するのは、飛びぬけた研究者がいる場合だと思うが。 日本の問題はどんぐりの背比べになっている点ではないか。 → 「物理学会の奇妙な提言について」 (2007月8月22日) ・絨毯爆撃的なタネ探しは否定的な見解のようだ。 ・・・資本主義社会ではバブル的な流行が新しいタネを見つけることにつながりがち。 ミクロで見れば成果は「運」で左右される。 超伝導の大騒ぎの本質は、物質特許を取得されると、見返りゼロになる点。 ・訳のわからぬブレークスルーの研究体制については、別もの扱い。一言欲しいところだったが。 ・・・確かに、“iPS細胞研究はメクラメッポウ作業で、科学に入る前段階”である。 金をバラ撒けば当る確率が高まる訳ではない。 ただ、適当にデータを集めてアイデアだけの知的財産権でカバーするやり方はある。 誰かが当ててくれれば大いに儲かるという仕掛け。 ・研究成果については厳しい評価をすべしという考え方のようだ。 ・・・その通り。いい加減な論理の研究目標設定が多い原因でもある。 ナノテクノロジー強化の名目で、素粒子科学にお金を回すような理屈が通りかねないのが実情。 そんな研究の成果は測りようがなかろう。 ・商用化から基礎科学へ戻る路線には興味がないようだ。 ・・・例えば、酸化チタン触媒の基礎研究は評価しないということになるかも。 それはそれで、一理ある。原理的な研究として、他と比較すればそうならざるを得まい。 ただ、組織的な知恵を発揮するモデルとして、日本にとっては“虎の子”なのだが。 ・どうも、とてつもない努力は奨励しても、無茶な実験だけはするなということのようだ。 ・・・「無茶」の範囲設定が難しい。 化学屋が「無茶」と見る弗酸処理を、物理屋が進めたので、半導体製造ができたのでは。 人工臓器を試しにやってよいのか、という気持ちはわからぬでもないが。 こんなことを色々と考えさせてくれる質の高いブログが無くなるのは残念なことだ。 --- 参照 --- (1) 文芸春秋2008年8月号 −ノーベル賞に最も近い物理学者が闘う生と死のドラマ− 戸塚洋二/立花隆: 『がん宣告「余命十九カ月」の記録』 文芸春秋2008年9月号 −本誌でがんを告白し逝った科学者が遺した感動の記録− 戸塚洋二[blogの引用]: 『あと三ヵ月 死への準備日誌「悟りとはいかなる場合も平気で生きることだ」』 戸塚裕子: 「夫と最期の時を共にして」 (KEK研究施設の写真) [Wikipedia] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:KEK_Tsukuba_2000.jpg 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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