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2009.7.2
 
 


新「菊と刀」…

 面白い日本文化論がNewYorkTimesに掲載されていた。(1)「菊と刀」を引き合いに出し、日本の強みと弱みは、その文化に起因するというのもの。
 筆者は、広島の国連のスタッフ訓練機関(UNITAR)の責任者。多分、2005年の赴任。履歴を見ると、スイスで教育を受けたようである。(2)名前からみて、人種的にはイラン系かも。

 ご存知のように、「菊と刀」は、Ruth Benedictが著した、1946年に出版された有名な本だ。恥の文化と武士道が両立するのが日本の特徴と習った覚えがあるが、ずいぶん昔のことなので、細かいことはすべて忘却のかなた。本質をついた書と感じた気がするが、内容をたいして覚えていないところから見て、細かな点では違和感があったのかも。

 Benedictが指摘した「日本的」なるものを、勝手に集約すれば、こんなところか。読み直した訳ではないから、間違っている可能性もあるが。
  ・日本の宗教は、経典を基盤としたものではない。
    →独特の信仰感覚をもっている。
     (普遍性のある宗教とは異なる信仰スタイルである。)
  ・日本人の正義とは、個々人の信条に由来するものではない。
    →正義は絶対的ではなく、相対的なものと考えている。
     (西洋の正義と概念が違う。)
  ・日本での愛国心とは、社会安定のために、身を捧げることである。
    →自律的に判断せず、他律的に動くことで、社会秩序を守ることを重視する。
     (集団主義である。)

 これは今でも通用する説かも知れぬ。
 そう思うのは、仏像の素晴らしさと、自然環境を守る動きを説く、人気タレントの言動を雑誌で見かけたから。

 仏像と自然環境保護との間に直接的な繋がりがあるとは思えないが、なんの疑いもなく、この2つを同根とみなすような話をしていたので驚いたのである。しかも、何の証拠もなしに、これこそが日本の伝統的心情と言い出すのだ。日本社会には、こんな感覚が自然に受け入れられる素地があるということだろう。
 そもそも、日本の古代信仰に偶像崇拝がある訳がない。日本人が仏像を大切にしてきたのは、ご利益期待だったり、開眼の目的が受け入れられてきたからなのでは。それは、国家鎮護や氏族繁栄もあれば、仏教学習や病気平癒まで様々だ。しかし、仏像の芸術的な美しさが、信仰に結びつくという話は納得がゆかぬ。特に、自分の好みの表情をしている仏像を探し出し、それを信仰対象とするという姿勢は摩訶不思議としか言いようがない。(そもそも、経典の民が偶像崇拝を勧めることはなかろう。仏像にしても、当初の仏教思想では相容れなかった筈。小生は、アレキサンダー大王遠征で、ギリシャ思想が仏教に融合したと見ているが。)

 環境志向にしても、その主張は自然は素晴らしいというムード的なものでしかない。しかも、玄米食こそ環境志向というような話が含まれており、かなり恣意的な主張で、普遍性を欠くように感じた。小生には、仲間ウチで盛り上がる特殊な主張に聞こえるのだが、一般の印象はおそらく逆なのだ。こういった意見は、人々を魅了するのである。

 まあ、それはともかく、Dr. Azumiによれば、日本の改革が遅々として進まないのは、日本文化に由来するというのだ。
 確かに、そうかも。
 様々な問題に直面しており、皆、それを認識しているにもかかわらず、変革を嫌う人ばかりなのだから、どうにもなるまいと見なすのは当然だろう。
 Economistの主張のように、スクラップ・アンド・ビルトができない国だから、どうにもなるまいというのと同じこと。(3)正論である。

 ところが、その一方で、Dr. Azumiは、日本社会は素晴らしいというのだ。とはいえ、その根拠としては、言い古された評判だけだが。
  ・the quality of its service
  ・superb public transport
  ・advanced technology
  ・safe streets and cleanliness
 海外と比較せれば、“The work ethic, ingenuity and craftsmanship of its people and the depth and range of their culture is impressive, as is the beauty and diversity of the land.”ということになるし、国民皆健康保険で識字率99%というのは、世界平均から見れば凄いと言われれば、まあ間違いではないが。

 しかし、主張のポイントはそこではない。ここまで問題(高齢化、失業、犯罪、北朝鮮、経済)が深刻化しているにもかかわらず、皆、結構、お気楽で緊張感の欠片も感じさせないことが日本らしさだと言うのだ。確かに、これは真似できまい。
  ・Japanese cities are often blighted by
    shopping malls, neon lights and pachinko parlors.
  ・the cult of the cute, known as “kawaii,”is pervasive.
  ・Television shows are full of young men with
    plucked eyebrows, painted hair and outrageous outfits.

 それに、今もって、伝統を受け継ぐ、施設、職人・芸術家、祭・イベント・芸術はしっかりと維持されている。俳句のように、現代生活のなかで、脈々と生き続けているものも少なくない。要するに、経済的にいくら苦しくなったからといって、伝統を捨て去ることは無いのだ。

 この体質こそが日本文化だというのである。それが、弱みでもあり、強みでもあるという訳。
 従って、この状況を理解している人は“realizes that it would be a mistake to write off Japan so easily.”と言うのだが。

 --- 参照 ---
(1) NASSRINE AZIMI: “Culture to the Rescue” NewYork Times [June 14, 2009]
  http://www.nytimes.com/2009/06/15/opinion/15iht-edazimi.html
(2) Dr. Azumi: 国連訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所長
  http://www.unitar.org/hiroshima/staff-and-advisors/Azimi
(3) “Business in Japan No exit What Japan needs is more bankruptcies, not fewer” Economist [Jun 18th 2009]
   http://www.economist.com/opinion/displaystory.cfm?story_id=13862513
(Ruth Benedictの写真) [Wikipedia] http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ruth_Benedict.jpg


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