↑ トップ頁へ |
2009.8.17 |
|
|
美しき衰退を図るしかないかも…創造都市を目指す動きが流行だとか。“文化の力で街を再生する”、あるいは、“芸術家と市民で街の活力を引き出す”といった海外の動きを見習おうということらしい。 一昔前、欧州の「文化都市」制度(1)に関心が集まっていたが、たいした成果もでなかったから、今度は、「創造都市」ということだろうか。 日本お得意の“切り花”学問臭さ芬々。用心したほうがよさそうである。 流石に、「観光文化都市」のようなことはないとは思うが。 いや〜、これは思い出すだに空前絶後。なにせ、企業の団体旅行向け宴会宿泊ビジネスで食べようと考える層と、観光客で騒がしくされるのを嫌う、政治力ゼロの別荘族が並存している地域を指定したのだから。 これで、どんな文化都市にするつもりなのかネ。歓楽と静養が融合する画期的な街を作りたかったのだろうか。 どんな文化的取り組みをしてきたのかは全く知らぬが、静謐を楽しめそうな旅館は次々と廃業し、団体旅行の消滅で大型ホテルの廃墟化が進んだのは紛れも無い事実。文化イベントにでも注力し、美しく衰退したかったのかな。 こんな例でもわかるように、日本の地方都市は、欧州とは違って、都市のアイデンティティを重視する人は稀な存在。 そんなことより、大都会の動きに遅れをとりたくないのである。○○銀座やデパートができたから、次は、新幹線の駅を、といった調子。大都会がスポーツ施設や公園整備に力をいれれば、同じものをつくろうとなる。使う人がいようがいまいが、同じことをしていることが嬉しいのだ。 間違ってはいけないが、民度が低いからこうなるのではない。 域外需要をあてにするビジネスを苦労して立ち上げたり、域外新勢力を取り込んでゴタゴタするより、域内の知り合いだけで税金のパイを分け合うのが、労少なくして、見返りが巨大だからである。中央政府から、お金がとれそうなら、なんでもよいというに過ぎない。アイデンティティと叫ぶとお金が落ちてくることがわかれば、即座に宗旨替え。 域内の需要が急減し、頼みの綱の補助金が減る一方だから、「創造都市」構想に飛びついた方がお得というだけの話。 外部から見れば、需要供給バランスが決定的に崩れている地域に、そんな構想を持ち出したところで、解決の糸口さえ見つからないのではないかと思うが。 ともかく、地方経済は惨憺たる状況だと思われる。はからずも、先月、それを実感させられた。 晴天の平日、箱根芦ノ湖でのこと。朝早い訳でもないのに、700人乗りの美麗な観光船に、乗客がなんと2名。シーズンを外して行くことが多いが、これほどのことは経験したことがない。そこで、土曜日にも訪れてみたのだが、海外からの小規模団体客を除けば、一般乗客はほんのチラホラ。 素晴らしい景色があり、大都会から交通至便な地でも、この惨状。地方都市は、とんでもない需要縮小に直面していると見て間違いあるまい。 こんな状態で、「創造都市」構想を打ち出すのだから、唸らざるを得まい。 だいたい、人々に、精神的な“ゆとり”と、時間的余裕がなければ、まともな文化は生まれまい。経済的に追いつめられてから、結果がでるまで時間がかかる人材育成を始めたり、利益性を度外視せざるを得ない文化・芸術活動を活発化させて、大丈夫なものか。 深刻な財政難で、文化政策どころではないから、産業政策と融合させてしまえばなんとかなるという発想でないことを祈るだけ。 夢を描くことを批判するつもりはないが、力がないのに、夢を追求したら、たいていは見返りはゼロ。しかし、夢のための投資は嵩んでしまうから、生産性はガタ落ち。生活レベル低下は避けられまい。その道を歩んでいないのか、そして、それを覚悟しているのか、確認しておく必要があると思うが。 大都会で独自文化が育つのは、様々な歪みを抱えていても、経済が上手く回っているからである。ビジネスチャンスが次々と生まれ、雇用も拡大。従って、「創造産業」(2)が自然に育っていくのだと思う。 東京は、出鱈目な都市計画で拡大してきたから、決して美しい街ではない。しかし、そんな状況でも、青山地区では、それを逆手にとるかのように、勝手勝手に自己主張型のビルを建ててきたのである。今や、それこそが魅力。街が、独自性で勝負しようという人達の集まる場になったからだ。 この程度なら、政治主導で進めれば、同じようなことができると錯覚しているのではないか。そんな発想は、都会からみれば、発展途上国の独裁政権のような体質に映るのだが。指導者の下に大衆を動員し、民族文化発露を図り、そのエネルギーで経済発展を実現しようという取り組みと瓜二つでは。 まあ、そんなことを言ったところで、青山でどれだけ多くのビジネスが失敗して消えていったのか、実感が無い人には、わかるまい。 それはともかく、創造都市を狙う動きが活発化するのだから、どんなことが行われるか、注視しておく必要があろう。 この施策の特徴は、文化政策を表に出しているものの、伸ばすべき重点分野を決めている点にある。その分野に合う、人材育成の仕組み作りと、ビジネスのインフラ整備にも大いに注力するのである。見方によっては、古典的なターゲット政策の衣替え。 そのため、支持する人も少なくない。「創造産業」と言えば、高収益事業のイメージがあるし、伸びる産業を育成するならそう悪くない政策と見なすからだ。 多分、この見方は通用しない。と言うのは、適用対象が大都会ではないからだ。 大都会なら、人材育成が行われれば、高付加価値産業はさらに大きくなっていく。すでに、至るところにビジネスの核が育っているからだ。一方、地方都市には核が無いことが多い。するとどうなるか。 存知のように、ITやメディアコンテンツ分野には、低賃金労働集約型の低収益ビジネスセグメントが存在している。せっかく人を育てても、このセグメントが雇用することになるのでは。 今まではハコモノ公共事業が地域経済の牽引車だったが、それがソフト公共事業になるだけのこと。まあ、上手くいけば域外需要に応えられる可能性はあるが、期待されるのは労賃の安さ。大都会に移動できない人だけが残るのがオチだろう。 おわかりだろうか。核となる起業家を駆逐してきたから、どうにもならないのである。 経済を上向かせたいなら、この点を認識することが出発点。これができなければ、なにをやってもピント外れ。 考えてみればわかる筈である。地方都市の経済を支えているのは、公共事業関連企業、補助金や規制で競争力を保っている企業、そのお陰で生きていける企業、といったところ。どんな政策を打ったところで、これらの企業の力に頼らざるを得ないのが実態。そんなことで展望がひらけるものかネ。 地域で閉じている経済から脱却しようと考える人達を呼び込む以外に手はなかろう。 それには、外の血を入れるのが早道。 例えば、近隣に立地している、研究所・開発センターや工場などの人達を活用することも一案では。間違えてはこまるが、こうした企業に蓄積されている専門技術のスキルを活用せよと言っているのではない。協力を請うのでもない。なんでもするから、地域経済低迷打開のために起業してくれと頼むのである。 組織的に知恵を生かし、馴染みの薄かった顧客を獲得し、苦労してお金を儲ける体質が染み付いている人達だ。本気で動けば成果も生まれよう。 断られたら、致し方ない。 そんな役割を担ってくれる人がどうしても見つからないなら、美しく衰退する計画作りで楽しむしか手はなかろう。 --- 参照 --- (1) 「欧州文化都市制度 欧州市民としてのアイデンティティ確立と文化振興の一手法」 (財)自治体国際化協会 [1994] http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/html/cr091/index.html (1') 例えば、イタリアのベネチアを考えてみるとよくわかる。 ・そこで生活しているのは職人だが、食べていくのは難しい。 ・観光客だらけで、静謐な場所ではなくなってしまった。 ・古い建物の維持費用は莫大だ。 ・周辺には大産業地帯が誕生。 “現代のヴェネツィアは、実をいうとその基盤において、 ますますヴェネツィアであることをやめつつある”ということ。 F.ブローデル(岩崎力 訳):「都市ヴェネツィア−歴史紀行−」 岩波書店 1986年 135頁 (2) 吉本光宏: 「創造産業の潮流(2)」 ニッセイ基礎研REPORT August 2009 http://www.nli-research.co.jp/report/report/2009/08/repo0908-5.pdf 中牧弘允・佐々木雅幸・総合研究開発機構 編: 「価値を創る都市へ―文化戦略と創造都市」 NTT出版 2008年 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
|
(C) 1999-2009 RandDManagement.com |