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2010.6.24 |
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「もみじマーク」を賞賛したい…高齢者運転者標識「もみじマーク」が、「枯れ葉マーク」と呼ばれているのはよく知られた話。それが不評を呼んだのか、デザイン変更を余儀なくされたらしい。小生は、これこそ予算の無駄遣い以外の何ものでもないと思うが。 もともと、この標識は、運転者が高齢であることを示すためのもの。ところが、高齢者らしいデザインが面白くないというのだから、一体なんなんだ。 もちろん、色々な意見の人がいるから、そんな文句に対してとやかく言うべきではない。こんな場合の対処方法は一つ。しかも簡単。・・・“高齢者”政治家が集まって、「これは些細な問題。そんなことにヒト・モノ・カネを使うような無駄はよせ。俺達はこれで結構。」と揃って発言すべきだった。驚いたことに、それが逆。 いいがかりに聞こえるかも知れぬが、これは小さな話ではない。 なにを決定するにも、時間をかけ、周囲の顔色をうかがう体質を復活させる動きそのものだからだ。折角、変わりつつあった公務員の姿勢を、再び、ことなかれ主義に戻そうという大きな一歩である。“高齢者”政治家が、その流れを作りだしたということ。 そもそも、「もみじマーク」が、本来は「枯れ葉マーク」であることなど、デザインから見れば自明。 [発表されているコンセプトはもちろん違う。念のため引用しておこう。・・・ “秋の美しい紅葉のイメージを図案化し、熟練した高 齢運転者を表現したもの。”] 枯れ葉では縁起が悪いから、楓とまぎらわしくても、紅葉と名付けたのは言われなくても想像がつくというもの。そこまで配慮しているのに、どこが悪いというのか理解に苦しむ。 もともと、初心者運転手標識として「若葉マーク」が使われている。今では、誰もがその意味を理解できるほど普及しており、それを転用するというのは至極合理的である。警察庁は良い仕事をしたと思う。 言うまでもないが、交通関係の標識の一番重要なことは視認性。 見ただけですぐに判断できないものには何の意味もない。よくわからない標識をわざわざ表示する場合は、多くの場合は、責任逃れと相場が決まっている。「枯れ葉マーク」は、見た瞬間、だれでもわかる。安全標識としては秀逸。 この標識がご不満なら、付けなければよい。表示はあくまでも“努力義務”だ。そこまで配慮してあるところも秀逸。 どの程度高齢者運転の事故があるのか調べていないが、重大事故が余りに多いなら、「枯れ葉マーク」でも寸足らず。よく使われる「ハンディキャップマーク」に車のハンドルをつけたデザインが望ましいだろう。より瞬間的に理解できるからだ。 おそらく、そこまでする必要がないから「もみじマーク」になったのでは。 こんなことをわざわざ書きたくなったのは、新デザインに視認性から見て唖然とさせられるものが含まれているから。 少し離れて眺めたら、車についている会社マークの丸印に見えたり、AED標識と見間違いかねないものがある。 高齢者らしさを消すために、よくわからぬデザインにするなど本末転倒ではないか。 と言うより、意味がわからない新標識を国民に周知徹底させるために多額の税金を投入したい“高齢”政治家が大勢いると考えた方が当たっているのかも。 気になる方は、・・・ 警察庁 「高齢運転者標識のデザインについての意見募集」 【平成22年7月17日(土)まで】 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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