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2010.6.30 |
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雑感: お祭りで活性化…地域コミュニティの崩壊を防ぐため、お祭りに力を入れている地域が増えているそうだ。わからないでもないが、それが奏功するのは、地域経済が伸びている時ではないか。祭りの興奮がさらなる頑張りを呼び好循環が生まれるからだ。 と言っても、経済的には伸びている都会でも簡単ではない。 ここでは、住人が祭りに全く参加していないマンションでも、祭りの寄付を続けていたりする。表には出ないが、一応おつきあいはしているのである。そんな状態で祭りをさらに盛んにしようと声をかければどんな反応が生まれるか想像がつくというもの。 間違っていけないのは、都会であっても、ほとんどの人は地域イベントが嫌いな訳ではない点。しかし、多忙なのに、長時間の議論や、延々と続く宴会に参加する気がおきる訳がない。子供にしても、スケジュールが埋っていることが多いのである。それを踏まえないと、活性化は画餅。 [ちなみに、東京都港区の世論調査では、地域イベント参加者は5割強で、参加者の88%はお祭りで、ダントツ。] それなら、時間の余裕がある人が多い地域なら活性化できるだろうか。小生は、経済低迷の地域は、都会以上に難しいと思うが。 そんな地域の場合、祭りがコミュニティ強化に本当にプラスになっているか確かめるべきでは。 と言うのは、昔から、祭りにはお金がかかるからだ。もし負担が重いと感じていたなら、不満は鬱積していることになる。それは、古代から現代まで続く、鉄則だ。経済が伸びているなら、祭りを盛大に挙行してよかったと感じることが多いが、逆の場合は要注意である。誰も、口では盛大な祭りに反対意見を述べないから、見間違えたりするとえらいこと。 と言っても、おわかりにならないかも知れるから、大鏡の文章を引用しておこう。道長一族の話の段落だが、当時、御霊会や火祭がどう受け取られていたかよくわかろう。・・・ かかれば、この御世の楽しきことかぎりなし。 そのゆゑは、音は、殿ばら・宮ばらの馬飼・牛飼、なにの御霊会・祭の料とて、 銭・紙・米など乞ひののしりて、野山の草をだにやは刈らせし。 仕丁・おものもち出できて、人のもの取り奪ふこと絶えにたり。 また、里の刀禰・村の行事出できて、火祭やなにやと煩はしく責めしこと、今は聞えず。 [大鏡 162段]http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ookagami.TXT そうは言っても、祭りの効果はあるのは確か。単なる精神論ではなく、一時期流行した方法論で考えるとよい。 ニューヨークで地下鉄の落書きなくす運動を始めたら劇的に治安がよくなったという話の援用。ここには、風が吹けば、桶屋がもうかるという類の論理展開が裏にある訳だ。 重要なのは、精神論ではなく、このシナリオ感があること。なんとなく良くなる気がすると、皆が感じているかどうか。 だが、多分、それだけでは駄目である。ニューヨーク地域の場合、経済発展が裏にあったから成功に繋がったのだと思う。そちらは地下鉄での清掃・治安回復運動が引き金になって実現する訳ではあるまい。コミュニティの生活の質を高めるようなボランティア活動を盛んに行える余裕がでれば、経済発展もし易いということでしかない。 ここら辺りを考えているかが重要。 早い話、経済発展を実現しそうな層が支えてくれる祭りでないと、たいした意味はないということ。ここら辺りに無神経な祭りが多い。廃れていく業態ばかりの商店街で、祭りを盛大に行うようなもの。そのコストでさらに不調になりかねないではないか。 重要なのは、業態転換を図るなりして、伸びそうな店を作ること。そんな店が主導した祭りだと俄然輝く。祭りに注力したところで、どの店も前と同じではどうにもなるまい。 それでも商店街なら、祭りの効果が数値で計れるから、黙っていてもその方向に進むのが普通。しかし、観光地の祭りになると、その数値が逆に作用しかねないので厄介。 よくあるのが、他所で盛んになっている物真似。たいていは、巨額の費用がかかる、不評に終わった○○博覧会開催のような発想で、祭りに力を入れる訳である。多額の投入で観光客は増えるが、一過性で借金だけが積み上がるの図。 未だにこの体質は払拭されていない気がする。 花を愛すると称する地方の街は多いが、歩くと、こんなところが目につきはしまいか・・・。 ・歩道には、乾いた土に枯れた草花が植わったプランターが雑然と置かれている箇所が目立つ。 ・店先には、水が入った、薄汚れたPETボトルが並ぶ。(水遣りでなく、猫避けかも知れぬが。) ・路地には、宣伝印刷がはがれかかった廃物容器に弱りきった木が植わっていたりする。 ・公園は工事中の場所が目立つ。大木の枝は大胆に切り落とされていることが多い。 ・新しい表示板が目立つ。その一方で読めない掲示がそのまま。 お気づきになると思うが、これと正反対の素晴らしい街もある。 どう見ても、手順や予算の多寡の違いの問題ではない。 最後に、このような乗りの悪い地域の一例を紹介しておこうか。中国人観光客を呼び寄せようと奮闘している観光地での話。地場品料理の呑み屋で、大将が地域状況の解説をしてくれた・・・。 観光客の中国語会話をそこここで耳にするようになったそうだ、しかし、ほとんどのお店に中国語表示など皆無。もちろん、店員は片言の中国も話せない。中国語ができないからどうにもならないという。 こんな観光地ビジネスも世界的に珍しいのではないか。 [一般に、富士山・温泉・食事に買い物の魅力だけでも、中国本土から大挙して観光客が来日すると見られている。健診一日ドッグツアーなど高価でも流行そうと言われてきた。しかし、日本では、そう簡単な話ではないのだ。] ともあれ、地域の一番の課題は、中国語の案内表示が少なすぎることだとか。もちろん、アンケート調査結果に基づくもの。それを踏まえ、自治体がとうすべきか検討中らしい。 どこまで本当かはわからぬが、ありそうな話。 侏儒の言葉の目次へ>>> トップ頁へ>>> |
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