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2010.9.10
 
 

つい組織について考えてしまった…

日本学術会議の声明のお蔭で、組織問題を考えてしまった。
 2010年8月24日、日本学術会議が非科学的な治療法を批判する会長談話を発表した。(1)宗教的な“水”の健康法をおしつける「専門医療従事者」がいるから注意せよという主旨である。これを巡って大騒ぎ状態に陥っているようだ。

 どうして学術会議がこんな話にかかわるのか、当初、不思議な感じがした。
 ウエブのニュースはえらく少なかったが、その背景はすぐにわかった。日本周産期・新生児医学会の危機感に対応したもの。(2)そして、朝日新聞(紙)のキャンペーンが人々を動かしたようである。流石。
 その発端は訴訟。・・・「専門医療従事者」が、信仰から、本来投与すべきビタミンK剤を飲ませなかったため、乳児が死亡したとされる事件。
 素人からすれば、それなら、当該専門家組織が対応すれば済むと考え勝ちだが、そうはいかなかったのだろう。医者がいくら声をあげたところで、薬を否定する思想運動が蔓延しているのなら、医者の声明では効果はなかろう。従って、事態は深刻ということで学術会議まで動いたのだと思われる。

〜 権威者のお墨付きを見せたところで、普通は、組織は変わらないものだ。
 これだけなら、ふ〜ん、で終わるのだが、その翌日に「専門医療従事者」組織が、早速、会長声明を発表したのには驚かされた。
 「昨日出されました日本学術会議の談話を重く受けとめ、会員に対し、助産業務としてホメオパシーを使用しないよう徹底いたします。」(3)というのである。

 いや〜、独特の文章である。よくある組織問題を眺めている気になってしまった。
 「ホメオパシー」を信じる「専門医療従事者」が極く一部の存在ではないと見たからこそ、日本学術会議が動いたのではないかな。この程度で状況が変わるものだろうか。

 一般論ではあるが、こうなってしまった組織は、こんな発表程度では変われないのが普通。対処が遅すぎると、日本の組織はどうにもならないのである。この例に当てはめれば、信仰普及運動が益々盛んになることさえありうる。信仰とはそういうもの。業務とは別に、「ホメオパシー」をお勧めすることになる可能性もあろう。そうなれば、「ホメオパシーに反する行為を行いますがよろしいでしょうか」と言う文言が使われることになるのかも。

 この組織に当てはまるかは、なんともいえないが、一度末端まで考え方が浸透してしまうと、上部からの改革は難しい。
 日本の組織は、中間の管理システムが極めて強固にできているから、どうにもならないのである。
 日本の場合、一丸となって動いている組織でも、ビジョンが一致し、その実現のパトスで活発に動いていることは稀。中間層と上層部の方向感と利害がたまたま一致しており、それに合うようにビジョンを被せている場合が大半。なんとなく皆で同じ方向に動いているだけで、そこにはリーダーシップ発揮の構造はなにもなかったりする。
 従って、一旦、両者に齟齬が生まれると、事態は急変。トップがいくら方向を示したところで、現場は全く動かず。その結果、トップがたたき出されたりする。それは、オーナー企業でも同じ。

 このような組織だと、方向を変えるには外圧が一番と考えがち。しかし、それは中間層に変えたいとの空気が生まれた時に通用する話。そうでなければ逆効果になりかねない。水戸黄門の印籠を見せたところで、中間層がそれに従うつもりがなければ、表面上の対応で終わる。

変革する気があるなら、日本の組織の特徴を理解しておく必要があろう。
 そもそも、子供でもわかる“やってはいけないこと”を平然と行える組織になってしまった場合、“やってはいけないこと”をやらないようにと指導して効果があがるとは思えまい。

 従って、どの組織でも、そうならないように、普段から注意するしかないのである。特に、空気を読んで、皆に合わせることを鉄則としている組織の場合、有能な仕掛け人の手にかかれば、足を踏み外しかねない。用心するしかないのである。
 なかでも、危険なのが、組織的活動であるにもかかわらず、それを組織公認としていない場合。本来はこの手の組織はイノベーション創出の役割を担うものなのだが、それとは正反対の雰囲気だったりすると厄介そのもの。管理の仕組みが無いから歯止めが効かず、何がおきてもおかしくない。しかも、それを知っていても皆知らん顔。組織の一員だから、組織外の問題については一切口を出せないと考えるからである。

 日本の多くの組織は、今そんな状況に陥りつつあるのかも知れない。

〜 しかし、組織問題にしたくない人が多いので、活発な議論はできない。
 ただ、こうした組織問題を語る人は稀。下手をすると、原理原則なき組織と批判しているように聞こえてしまい、説明が矢鱈骨だからでもあろう。

 そんなこともあり、問題を履き違える人が必ず登場してくる。こまったものである。
 例えば、上記の例で言えば、「会長談話」に問題ありと指摘するような動き。実際、そんな意見が出ているのかはわからないが、こんな時に、知識人と呼ばれる層はたいてい声をあげるものである。

 その論理は普通は単純なもの。・・・誰でも“お守り”を持っているものだし、余命いくばくもない人にとっては非科学的なものでも、精神安定には価値がある。このようなものを無意味と主張したりするのはよした方がよいと語るのである。そして、取り巻きが、“流石先生バランスがとれた見方をされている”と囃す。

 問題の捉え方が全く違うことにお気付きだろうか。
 こういう話を始められると、組織問題について、何も議論ができなくなるのである。

 --- 参照 ---
(1) “「ホメオパシー」についての会長談話” 日本学術会議 [平成22年8月24日]
   http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-d8.pdf
(2) “ビタミンK予防投与への緊急声明” 日本周産期・新生児医学会 [2010年8月5日]
   http://www.jspnm.com/topics/data/topics100805.pdf
(3) “「ホメオパシー」への対応について”社団法人日本助産師会 [平成22年8月26日]
http://www.midwife.sakura.ne.jp/midwife.or.jp/pdf/homoeopathy/homoeopathy220826.pdf


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