■■■ 多摩動物公園の見所 2013.3.3 ■■■

   エミュー

最近は、都会に住むカラス、ハト、インコを見かけるだけで不愉快な気分になる。度がすぎた傍若無人な態度を示すからだ。無関心で歩いていても、突如、脅かされたりする。カラスの悪戯は有名だが、それを通り越している。幼児だと、原体験としていつまでも心の奥底に残るのではなかろうか。
まあ、鳥というのは、本来そういう体質の動物なのかも知れぬが。そう思うのは、伊豆シャボテン公園で南洋の鳥にからかわれたことがあるから。天気が良いのでのんびり遊歩道を散歩していただけなのに、ずっと後ろの草地に佇んでいた筈のペリカン君が突如道を走ってきて、小生の前に立ちふさがったのである。羽を広げ脅かして喜んでいる風情。なんだかね。
昔のことだが、伊豆バイオパーク(現:アニマルキングダム・伊豆稲取)でも、フラミンゴで似た経験を味わったことがある。単に通路を歩いているだけなのに、寝ていると思いきや、突如首をこちらの方に伸ばしてきて大声で鳴いたのでビックリさせられた。少し前を歩いていた人達にはうんともすんとも言わなかった癖に。脅かして遊んでいるのだろうか。それとも、お前は面白くない輩と見なされたということか。
まあ、無理矢理つれてこられ、不満も溜まっているだろうから、致し方ない気もするが。

ところが、多摩動物公園のダチョウ君やエミュー君は、これとは正反対の気質。まってましたと言わんばかりの対応。
どちらも、とてつもなく速く走れるらしいが、狭い場所だからそんな能力を試せなくて、ストレスも溜まっているだろうに。もっとも、全力疾走は万一の時だけで、実は疾走嫌いという可能性もなきにしもあらずだが。
まあ、ともあれ、こちらが関心を示さなければ暇そうに静かに過ごしているのである。

ところがである。こちらが手を振ったりすると、状況は一変。こちらをじっと見つめてトコトコやってくる。
一般に、小鳥は臆病なので可哀想だから静かに眺めるだけにするし、結構大きな図体の鹿でも、皆が一斉に緊張して、丸い目でこちらをじっと見つめ、体が固まってしまったりするもの。この巨大鳥はそんなそぶりの欠片も無いのである。もっとも歓迎しているとは限らない。ナンナンダヨ、何か用でもあるの、といったところかも。

ダチョウ飼育場は崖下にあるので、少々遠くてよくわからないのが難点だが、エミュー飼育場と通路を隔てているのは簡素な柵だけ。そこに、わざわざ寄ってきて、柵から首を出そうとする。従って、なんだか話をしている気になってくる。
いかにもお暇そうなので、柵の前を早足で歩いてみると、ついて歩いてくる。なんだその程度の速さかと言わんばかり。お互い、しばらく往復運動を楽しめる訳である。と言うか、どうも遊んであげてるのだゾという雰囲気だが。
実に面白い気性の鳥である。と言っても、エミュー一般ではなく、飼育員さんの性格が伝染ったということかも知れぬが。大きすぎるが、可愛い動物なのでペットとしてお勧めである。これは間違いなく、家畜化の道を選んだ動物だ。これを拒んだ連中は絶滅させられたということではなかろうか。
・・・Kangaroo Island Emu(1827年)、King Island Emu(1822年)、Tasmanian Emu(1845年)


そんな印象を強めるのは、すぐお隣にアカカンガルーの大家族が住んでおり、その態度が余りに対照的だからだ。これこそ多摩動物園ならではの面白さ。
こちらはエミュー君の飼育場どころではなく、ほとんど柵らしい柵も無い状態。その気になれば、境を飛び越えられる筈だが、そんなことに挑戦する気概もなく、全員静かに過ごしている。と言うか、そんな面倒なことなどどうでもよく、ただただだらだら状態なのである。なかには、あられもないお姿で、大の字になってお休みの方も。幼児がそれを見て、「家のお父さんみたい」などと口走って母親があわてたりしている状況。緊張感のキの字もなく、喧しい観客がいようがいまいが、すべて無視。天下泰平。我々を見たいなら見るもよしで、そちらはそちらで勝手に過ごしたらというところ。それでも、幼稚園児の集団が来て、余りに五月蝿いと、流石に絶えられずに目を開けたりする。だが、片目とくる。しかも半目で、すぐに閉じてしまう。ぐうたらなことこの上なし。少しはエミュー君を見習ったらよさそうなもの。

そんなことを考えていてと言うか、羽と体つきを見ていてフト思ったのだが、エミュー君のこの性格は祖先に由来しているのではないかと。2本足で走る草食恐竜に見えてきたのである。食物が減る一方の環境下で、恐竜は互いに争いあい、新しい強敵の出現で次々と滅ぼされていったろう。そんななかで、できる限りどの種にも仲良し姿勢を見せ、おかしな兆候を感じたらスタコラさっさと逃げる体質で生き延びた草食恐竜の末裔なのではなかろうか。もともと「飛ぶつもりが無い鳥」なのでは。羽は退化したのではなく、卵を回転させたり、優しく温めるために進化した前足なのでは。
一方、アフリカの駝鳥とは大違い。こちらは、おそらく大きくなりすぎて、「飛べなくなった鳥」だろう。使わない羽が退化してしまっただけ。だからこそ、足の指は、ものを挟んでいた時代の2本のまま。エミューのように疾走瞬発力を発揮し易い奇数ではないのだ。
そんな気分で、駝鳥を見直すと、こちらはやけに好戦的な目をしていることに気付く。ヒトがやって来ると、すかさず偵察にやってくるだけのこと。もし面白くない輩だったら、蹴りを一発お見舞いしてやるゾという意思ありあり。小生は、両者がゴンドワナ大陸時代に同類だったとはどうしても思えない。「飛べなくなった鳥」は、ゴンドワナ大陸の特徴を示すものではなく、北半球に棲んでいた連中が早い時代に皆絶滅の憂き目に合っただけでは。


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