■■■ 多摩動物公園の見所 2013.4.11 ■■■

   ヤギ

多摩動物公園に正門から真っ直ぐ進むと、池を越したすぐ左手の小さな囲いにいるのがヤギ君達。雰囲気的には、よくある"ふれあい"子供動物園に映るが、低くて手が入るとはいえ柵があり、純然たる展示である。頭突き大好き動物だし、紙を食べるから、この手が一番だろう。
なんといっても嬉しかったのはお名前。♂ショウ、♂チュウの名札をつけてやって来たから。思わず笑ってしまった。そこで掲示板をよくよく見たら、♂ダイ、♂チュウ、♂ショウだった。コリャ、わかり易い。ついでながら、♂ジョウ君もいる。♂チュウがいるのなら、♂ゲもどうだろうなどと言うと、悪乗りが過ぎるか。
これらはすべて3才児と書きそうになるが、「1才でもうおとなだよ!」とのこと。3才はメスもいるが、これ又直裁的なお名前で、♀ヒメ。2012年に2頭出産し、命名がひらがな化し、♀あん、♀きなこ。子供相手の動物という位置付けだから、こりゃイケル。尚、唯一の古株は8才の♀デコ。不運なことに、2012年に生んだ子供は年末に死去してしまった。

まあ、ヤギは珍しい動物とは言い難い訳だが、小生はコウノトリと勝るとも劣らず重要な展示と考えている。従って、ほとんどの入園者の目に触れるような場所で飼っていることに拍手を送りたい。しかも、子供ふれあい動物にしない点も秀逸。そんな役割は小型動物と羊にまかせるに限る。
惜しむらくは、高いところに登るの大好き動物なのに、それを目立たせる場所が用意されていない点くらい。もっとも、喧嘩のもとだから、避けているのかも知れぬが。
こんなことを語るのは、山羊好きだからという訳ではない。
山羊に関する知識もほとんどない。展示されているのが、どういう種類のヤギなのかもわからぬクチ。常識的には、日本で買われている家畜だろうから、雑種だろうと見ている程度。日本の歴史から見て、血筋を保つ努力とか、品種改良をしてきたとは思えないからだ。
近縁の羊とは違い、日本では古くから、ヒトと一緒に生活してきたのである。そこをかっている訳。

もっとも、展示に向いていると言う訳ではない。人懐っこいが、指示に諾々と従う羊と正反対の頑固者だからだ。言うことをそのまま聞き入れるような手合いではない。しかも、家畜の分際であるにもかかわらず、なにか面白くないとすぐに頭突きをくらわせる。ガツガツ早食いだし、下手に紙でも持っていようものなら、無理矢理でも食べようとする礼儀知らず。そんな体質だから、家畜向きではない筈だが、どういう訳か大いに愛されてきたのである。
先島で聞いた話によれば、羊は牛同様に焼肉料理が基本だが、山羊は鍋で煮ることになるので、古代から日本列島では好まれたという説もあるらしいが、どうせ泡盛の酒盛り話で、当てにはならぬ。

こんな話をするだけでは、山羊展示を重要視する理由が見えないか。
実は、日本では、家畜の山羊が絶滅危惧種化しているのではないかと見ているのである。冗談で言っている訳ではなく本気。
かつては、山裾の農家では必ずと言ってよいほど飼われていたと思うが、今の世の中、そんな情景は考えにくいからだ。山羊をつぶせる人もいそうにないし、搾乳したい人もいそうにない。昔から習慣で飼い続けている人が、高齢化してあきらめれば、山羊は消えていくことになるのでは。観光として、先島の鍋用山羊がかろうじて生き残るだけかも。

そんなことが気になるのは、動物園文化の基層に西欧文明がありそうだから。その感覚だと、山羊の扱いがどうなるかどうしても気になる。バイブルを読んだことが無い人だとわからないかも知れぬが。・・・
イエスは最後の説教で、神の裁きで何が問われるかを語ったのである。バイブルの根幹とも言える、極めて重要なくだりだ。そこで、羊は善とされ、山羊は悪というか、敵とされてしまう。両者をはっきり峻別せよと、明瞭に示したのだ。
神が自ら世話する群れとは、"Right"側の羊であって、救い出しの対象。
これに対して、山羊は裁きの対象でしかない。「愛」の行為をなんらしない輩と見なされたのだ。そして、恐ろしき言葉が発せられた。「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。」[マタイによる福音書25:41]

(マタイによる福音書から)
人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。[25:31-33]
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。[25:34-36]
それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。[25:41-43]



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