■■■ 多摩動物公園の見所 2013.4.21 ■■■ スイギュウ 「牛」と「水牛」の違いは何かとの質問に対する回答は、たいていは「属」が違うのですというだけ。 ○哺乳鋼−鯨偶蹄目−ウシ亜目−ウシ科−ウシ族− -バイソン属、-ウシ属、-アジアスイギュウ属、-アフリカスイギュウ属 まさか、水に入った牛が水牛というだけと答える訳にもいくまいが、コレ、素人からすれば、こんなやり取りに映るのである。 [質問] 「か」と「き」はとても似ている発音だと思うのですが、どこが違うのですか? [回答] 「か」は、分類上で、「Kグループ」の「a系列」とされています。 一方、「き」は「Kグループ」の「i系列」に該当しています。 どちらも「Kグループ」ですが、「a」と「i」という異なる系列に属しているのです。 つまらぬ話で恐縮だが、小生は、「牛」と「水牛」の違いが結構気になるタチ。 それは、「ウシ」と違う種に見える「ヤク」が同属なのに、「スイギュウ」が別属だから、納得感が湧かないという話ではない。「牛」と「水牛」がよく似ていると見なす「自分の感覚」をある程度客観的に確かめたいからである。 と言うのは、両者は似ていると考える人ばかりではないから。良く知られているように、インドでは、両者が類似と言えば非常識人扱いされるからだ。ヒンズー教徒は、牛と水牛は似て非なるものどころか、全く異質な動物と見なしている。片や神聖な動物で、もう一方は畜生扱いと言うか、悪魔の化身なのだ。一体、両者の何がそこまでの違いをもたらすのだろうか。一方、水に入る牛としか見えない人は、どうしてそれに気付かないのだろうか。 どうでもよい話だが、こういった疑問を解くべく動物園を訪問するのも一興ではというのが、今回の主題。・・・ 実物をこの目で見れればそれで大満足という、大混雑人気展覧会に行くような気分で動物園内を回るのはそろそろお止めになったら如何かとのご提案でもある。もっとも、それは過去の話で、今は、「可愛いいー」動物や、面白い仕草を見にいく人の方が多いかも。それはそれ話題のタネとして重宝するし、誰にとっても確かに楽しいことは間違いないが、折角の動物園訪問なら、別なことも考えたらどうだろう。 動物園でないとなかなかできないことがあるからだ。それは、動物を眺めることを通じて、自らの”センス”というか、感受性を磨くという一種のトレーニング。卑近な言葉で言うなら、「気付き」である。 それを、多摩動物公園のスイギュウ舎で試してみようという訳。別に、上記の疑問にこだわる必要もないが、どりあえず、そんな視点から眺めたらどうかということで。 (実は、インドサイ舎前で、遠足の子供達が「観察シート」を書いているところを見かけたのである。小学校高学年〜大人が対象のフォーマットらしいが、優れた企画だとお見受けした。しかし、見ていると、どうも、気付きからは程遠いのだ。鈍感というのとは違い、細かなことを的確に指摘する。それは、どうも事前に動物を勉強してきたかららしい。これでは点検確認シートになってしまう。それが、観察行動とされているようなのだ。大人だと、頭が固くなっているから、知っている範囲を超える発見は期待でき無いが、今や、頭が柔らかい筈の子供もそうなってしまったようだ。コリャこまるゼ。) 多摩動物公園のスイギュウ舎の裏は土手。この上がマイクロバス道路。その道をはさんでインドサイ舎がある。実は、この配置が絶妙。 おわかりになるだろうか。両者は似ているナと、頭のすみを思考がかすめるのである。眺めていると、牛より、共通点が多そうにも思えてくる。 ・草食である。 ・体躯が巨大である。 ・全体に黒っぽい。 ・毛が生えていないように見える。 ・ゴロゴロしているだけで怠惰な感じがする。 ・ノロノロと動く。 ・ただ、疾走することもあるそうだ。 ・従って、蹄を持っている筈。 ・水の中に浸かっているのが好き。 (アオミドロのドロドロ状態も気にとめることなし。) ・排泄は水中か水辺と決めていそう。 ・泥浴びをえらく好む。 ・角がある。 ただ、一般的には、サイは鎧のような皮膚であり、角も1本で鼻と目の間だから、見るだけで異なる種族なのは明らかで、こんな比較はナンセンスとされる。しかし、それは、日本人的峻別感覚が、一に皮膚の質感の違い、ニに頭の格好というか角の状況ということだからと言えなくもない。なにせ、和牛にしても、黒毛、褐色、無角、短角という名称がついている位だから。この2つの視点が、どうして重要なのか、説明して欲しいものである。なにせ、もっと重要な視点とは、蹄の数とされているからだ。サイは奇数で、ウシは偶数なのである。残念ながら、動物園で観客はそれを確認することはできないが。 結局のところ、水牛が牛に似ていると思ってしまうのは、牛は比較的寒冷で乾燥した草原に棲んでいるが、湿潤で暑いところに進出すれば、水牛のようになる筈と頭のなかで考えるから、両者は同一の種族として見てしまうのではなかろうか。明らかに、自然に生まれたのではなく、教えられたものの見方。 その感覚がなければ、水で清める習慣を持つヒンズー教徒のように、両者は別種族と見なす人がいておかしくあるまい。なにせ、ドロドロのいかにも汚れた感じがする沼地でも、その中に浸かろうとする動物が水牛なのである。しかも、穢れを落とすべき水のなかで、糞尿放出とくれば、不快な動物扱いされるのはわかる気がする。一方の牛だが、グジャグジャした沼地に近寄るとはとても思えまい。一体、どこが似ているのと詰問されそう。 それに、角が似ているというのは、鹿、牛、犀すべてを同一用語の「角」で済ますことができる日本人特有の発想の可能性もあろう。角の向きが、水牛はクルリと後ろに回っており、牛は直前方だから、相当に違うと言われれば、その通りである。 さらにつけ加えるなら、二本頭の上に角があるから、キリンも間違いなくウシの近縁ということになろう。分類では、ウシ科では無いが。 ○哺乳鋼−鯨偶蹄目−ウシ亜目−ウシ科 ○哺乳鋼−鯨偶蹄目−キリン科 そうそう、前述した種族名の「アフリカスイギュウ属」にはご用心。かなり違う種族かも。写真で見ると、角は半円形で長いようだから。 ・サバンナの"ケープ"バッファロー(黒色で大きい) ・中西部、森林のバッファロー(赤色で一番小さい) ・西部、"スーダン"バッファロー(上記の中間) ・中央部、サバンナの"ナイル"バッファロー(薄い色で小型) それに、これらすべて完璧な野生種。家畜化はほとんど進んでいない模様。100%家畜化してしまった、牛やアジアの水牛とは全く違う。もっとも、アジアには水牛の野生種も存在するらしいが、小生は、どうせ家畜の逃亡族と見る。 ついでながら、上記は"アフリカ"の「バッファロー」だが、米州に棲む、角は短くて首無しの「バイソン」のことも「バッファロー」と呼んだりするようなので、ご注意のほど。 こうした差異のほとんどは、写真でもわからないこともないが、直接お会いしないと感覚的につかめない違いというものもある。肌感覚からだが、牛と水牛は大違い。♀ハルナ君と♂アカギ君だけという可能性もあるが、余りと言えば余りの、やる気なし状態なのである。始終、のんべんだらりとくる。同じ家畜でも牛君とは相当な違い。体躯を考えれば、獰猛とまではいかなくても、少しは威厳らしきものを感じさせてくれてよさそうに思うが。 小雨が降ってきたら、なんと建物のほんの僅かの軒下でただただじっとして雨宿り。私たちは南の育ちで、冷たい雨はご勘弁ということか。 西表・由布島間の渡しと、竹富島内循環の水牛車に乗ったことがあるが、皆、結構働き者で、えらく大人しかったので驚いた覚えがあるが、徹底訓練の賜物なのだろう。 (東京ズーネット ニュース) 動物たちの水浴び2題 2011/09/02 多摩動物公園の見所−INDEX >>> HOME>>> (C) 2013 RandDManagement.com |