■■■ 鳥類/哺乳類の分類 2013.4.4 ■■■

   蹄で見た哺乳類の4分類

おそらく、「食肉目」とは肉食獣目という分類コンセプトと考えてはまずい。草食、昆虫食、といった"常識"的な視点で生まれている訳ではないからである。どちらかと言えば、犬歯発達目という発想に近そうである。
概念的思考を身につけるには、ここら辺りにこだわった方がよい。他人との会話でそれを始めると村八分に会うから、自分の頭で考える必要があるが。動物園の展示は、そんな頭の体操を助けるようなものであって欲しいというのが小生の考え方。
ただ、そんな話をすると、たいていは表示の分類「科」名についての説明がされるべきと捉えられてしまう。全く違う。そんな解説は暗記を助長する以上ではなく、逆効果を生み出すだけかも知れぬから。

そこらあたりの感覚をご理解頂くには、蹄の話が一番だろう。哺乳類の分類といえば必ず登場するのが、奇蹄目と偶蹄目。この解説は要注意である。日本人の大半はバイブルなど読んだことがない人だらけだからだ。

経典の民からすれば、奇蹄目と偶蹄目とか、反芻するかどうかは、子供の時から馴染みがある。というか、造物主が作りたもうた動物の見方として自然に頭に入るからである。要するに、神の設計図によって、そのような違いが生まれているというのは言わば社会の"常識"。余計なことだが、だからこそ、食べられるだけの経済動物に特段の哀れみを感じることはありえない。経済動物にも、神が与えた権利がある筈で、それを犯すなとの感覚は生まれることはあっても。喰われることが与えられた"宿命"であり、ヒトはそれらを食べる役割を与えられていると考えているだけの話。
日本では、こうした見方ができる人は珍しい。アニミズムとは違うのだが、それに類似の信仰感が溢れている社会だからだ。ヒトもその他の動物も、生きているなら、霊が存在すると感じてしまうのである。といって、命を大切にしようとの西洋哲学や仏教の教え的な発想が基底にあると見ると間違い。生きていくために動物の命を奪うことになんら躊躇することなき社会だからだ。害獣など見つけ次第撲殺とか、生活上重要なら絶滅など気にせず捕殺する体質であるのは間違いない。ただ、そんな姿勢を嫌う人達も大勢住んでいる社会だから、表向きはそんな考えは許せぬということになっているし、そのような動きが発生しないようにそれぞれのコミュニティが工夫してきただけのこと。
従って、見方によっては、ご都合主義そのものだが、それは独特な信仰心が流れているから。動物の霊から報復されたらたまらないから、できれば平和共存で生きていこうという信条なのである。経典の民には理解不能で、信用しかねる輩となろう。注意の要あり。
だからこそ、種の改良や、去勢には抵抗感があったのだと思われる。なんの躊躇いもなく、宦官や纏足を社会の規範とするような民族を、口に出さないまでも、ヒトでなしの下劣な輩とみなしていたのは間違いない。

話がそれてしまったが、文化的な違いを理解した上で、奇蹄目といった分類を説明する必要があろう。ウマにしても、西洋に追いつけ時代に入る前は、蹄鉄をつけることは嫌っていたのである。その技術を知らなかった訳もないが、去勢同様に、霊が宿るものを勝手に弄くりまわすことに恐れがあったのだろう。

要するに。動物の見方は、西洋や大陸とは相当違うから、蹄の数の意味もよくよく説明する必要があるということ。できれば、脚、足先、踵の全体感を得た上で、蹄の話に進むべきだと思う。別に難しい分類話が必要な訳ではない。
瞬時に走り始めるなら、それに合う構造になるのは当たり前。
 ・足先に常時スパイク・・・チーター
 ・足裏に常時蹴り板・・・ウマ
ただ、両者のこうした足の構造は、他の機能も示唆している。チーターのスパイクは木登り用アイゼン役も果たすからだし、忍び足歩行ができるように足裏クッションも装備していることにも触れておくべきだろう。
こんなつまらぬ話をするのは、蹄が奇数と偶数で機能的に何が違うのかという話になるからだ。普通に考えれば、奇数なら主板がはっきりするからその方が瞬発性が良いということになる。偶数は劣るといっても、それなりの速度は出る。多分、足指はさみ込みの機能を使っていた時代のなごりかナとなるのが落ち。
つまり、奇数と偶数の違いの説明にたいした意味はないのである。ポイントは様々な蹄動物が生まれたというだけ。哺乳類の素人による4大分類の一つを、蹄の形態でいくつかにに分けることができるというにすぎまい。・・・
大きく見れば、誰だって、先ずは蹄の有無としたくなるが、その分解は表層的では。捕食側と被捕食側がペアになっていそうだから。つまり、このペアとそれ以外の3分解がわかり易い。
○蹄を持つ系統
 ・爪先蹄:化石動物(例えば狼類似のMwsonyx)
 ・走行特化型の奇数の蹄:ウマ等
  (バクは前肢4つ、後肢3つ。はてさて。)
 ・偶数の蹄:ウシ等
  (蹄数もさることながら、反芻用器官と盲腸の存在で見た方がよさそう。)
 ・走行機能を失った蹄:クジラ
○蹄が無いことで、蹄動物を捕食する系統
 ・草食獣を食べる肉食獣(ネコ/イヌ/クマ等)
○蹄以外の、脚利用方法で捕食領域を広げた系統
 ・コウモリ等
そうなると、他の3つの大分類はこのように位置づけることができよう。
○蹄同様の器官が認められる系統
 ・原始的な蹄:ツチブタ(管歯)
 ・一応の蹄:ゾウ(磨耗臼歯)
 ・蹄的な痕跡:ジュゴン
○もともと蹄を不要とする系統(広域草原生活非対応)
 ・ネズミ/ウサギや、サル/ヒト等
○特殊食性器官に特化した例外系統
 ・アリクイ

こうした見方が正しいかどうかを議論したいのではない。浅薄な知識しかなく、まともに勉強もしていない素人が書いたものである。内容の細かな話はどうでもよいのである。だいたい、論理と証拠を示している訳でもなければ、反論されそうな点に予めコメントをつけている訳でもないのだ。正しいとか、間違っているとか、議論しようと考える方がどうかしている。だが、仮説を生み出す端緒とは普通はこのようなものなのである。フフーン、そうか、自分ならこう考えるナ、という発想につなげることこそが肝。
そう書けばおわかりだろう。概念的に物事を眺める習慣をつけることをお勧めしているのである。この場合は進化の過程が題材。動物園とはその糸口を提供する場所と見込んで話をしている訳。

そんな点に興味が湧けば、普通はこまかなところから専門に入ることになる。しかし、専門書には、単なる仮説は登場しない。比較的説明し易い仮説を解説しているものだらけ。これをいくら勉強したところで、暗記して嬉しがってしまうだけ。だからこそ、文字情報の交流ではなく、直接議論可能な場が必要になるのである。
思弁的な話だらけで恐縮だが、広い時空間で全体像を高みから眺めないと、見えるものが見えないと言いたいだけ。それができなければ、貧弱な仮説しか生まれない。しかも、当のご本人はその程度の知恵しかでていないことに気付かなかったりする。自分で自分の能力を殺しているのだ。残念な話である。
余計なお世話かも知れぬが、ことは、動物の分類に留まらない。イノベーションを狙いたいなら、頭の使い方を手法物真似の分析型思考から離れ、頭を働かせる機会をなるべく多くつくることだろう。
動物園の展示を眺めている時こそ、まさにチャンス。自分もさることながら、子供達にもそんな考え方をさせると、将来が楽しみになるのでは。


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