■■■ 鳥類/哺乳類の分類 2013.4.13 ■■■

   分類話にこだわる理由

動物園では、必ず、分類の「科目」名と学名が表示されている。後者は、当該展示動物がなにものかを示すための約束事。前者は、後者がわかれば調べればわかるから、専門家ならなくてもこまらない筈であるが、表示するものらしい。素人にとっては、分類名を示されたところで、解説が無ければゴミ情報でしかなく、愉快なものではない。分類名を暗記せよと言われているように感じるからだ。しかも、それぞれの「科目」が何を意味しているのかは、自明ではないとくる。分類名のつけ方も視点がバラバラだし。その上、「科目」とは、明確に決まっているとは言い難い。一意的に決まっていないものを、素人相手に、さも重要そうに掲示する意味がどこにあるのかはなはだ疑問である。
間違えてはこまるが、科目の分類はいい加減だと言っている訳ではない。「系統」と言うらしいが、「進化」論的考え方で整理することになっているそうだから、科学的に分類されているのは間違いなかろう。
しかし、それを素人に、さも普通の「分類」と同じように押し付けるのは筋違いと考えるだけのこと。

哺乳類の分類についてグダグダ書いてきたが、我慢してお読みになった方は、おそらく「進化」論的な発想が濃厚と感じるだろう。しかし、本人は、そう思って書いてはないない。それは、単なる「分類」でしかない。そこをご理解いただきたいと思って、さらにウダウダ書いている訳。ことは、生物だけではなく、それこそ産業技術でも同じことがいえそうだから。

「進化」論的に考えるとは、家系図を推定して、各動物をそこに位置づけるということ。いかにも分類しているかに見える。しかし、両者は別物である。その辺りの感覚を伝えるべく、一寸書いておきたくなった。

現在の生物分類は、リンネ(1707-1778)の考え方がベースになっているとされる。それがどういうことを意味しているのかは、浅学な小生には解説する能力は無い。しかし、この学者が追求しようとしていたことは自明に近い。世界中の生物を分類しようというビジョンに向かって突き進んでいたのは間違いあるまい。それは類稀なる収集癖から来ている訳ではなく、勝手に生物を分類し始められたりすれば、てんでバラバラに「種」が定義され、一意性がなくなりかねない。それこそ、言語におけるバベルの塔状態になってしまう。それをなんとしても避けねばということで、強固な信念というか、使命感に燃えて仕事をしたのだと思う。
それは、専門家としての義務感にも裏付けられていた筈。造物主が作った秩序を知恵をふり絞って解明することことが、最重要課題であると考えるのはキリスト教社会なら当たり前の話だからだ。従って、分類とは、自らの視点で「分類する」のではない。神が作りあげた秩序、あるいは宇宙の深遠な掟を、解明している作業なのである。
それはともかく、分類は確固たるものというのが、大前提となる。

小生は、こうした考え方をしないから、大上段から「分類」名を押し付けられるのを嫌うのである。
こんな説明では、わかりにくいか。

ダーウィンの話をした方がなんとなくわかっていただけるかナ。
と言うのは、ダーウィンがこうした分類の考え方を木っ端微塵に粉砕したからだ。そう、革命勃発。・・・「分類」の線引きは、恣意的なものであり、いつでも変わりうるというのが、その主張の肝。
こんなことを言うとビックリする人がほとんどのようだが、それは、適者生存ルールを「進化」論の核心部分と考えよという教育を受けているからにすぎまい。ひねくれた見方をすれば、ダーウィンは非適者生存のルールも「ありうる」ことを示唆していると読めなくもない訳で、弱肉強食など枝葉末節。そこを強調したい時代風潮で、そうなっているに過ぎまい。

ついでだから、そこら辺りにも触れておこう。
一寸考えればわかると思うが、「進化」の概念とは、推定家系図以上のものではない。ヒトを例にとれば、子供は必ず父と母から生まれ、両親の特徴を少しづつもらうが、似ていないところもでてくる。これはミクロの掟。これを、マクロの確率論で考えれば、ダーウィン型進化の法則になる。適者生存ルールなど、たいした話ではなかろう。
「進化」論の大御所とはダーウィンではなく、メンデルである。両親の特徴を受け継ぐ遺伝子の存在を実験で実証したのだから。

しかし、偉大なのは、やはりダーウィンなのである。前述したように、その思想は余りに革命的だからだ。それは、「進化」論ではなく、「分類」論。
ここまで書けばおわかりだろう。・・・現在「種」と認定しているが、実は2種が混在しているかも知れないのである。違いに気付かないだけのこと。あるいは、勝手に違う種としていても、両者を分ける意味がないこともありえる。
また、時に「変種」とされる生物も見つかる。それって一体なんなの?・・・当該「種」の一般的な特徴をすべては揃えてはいないが、出自からみて他の種とは言えないと言いたいのだろうが、これは、明日の「種」可能性ある「萌芽種」と書くべきかも。言い換えれば、現存の「種」は明日の絶滅種かも知れないということ。どのような特徴を持つ生物が適者になるか、全くわかっていない以上、こう考えるしかなかろう。

素人にとってなによりも重要なのは、どういう視点で分類しているかである。視点がいくつもあって素人には境がなんだかよくわかない分類はご勘弁願いたい。はっきりしない推定家系図で分類した「科目」の呼び方を、丸暗記したところでほとんど意味は無い。知りたいのは「種」のストーリーであって、名称ではない。
ほとんどの観客は、学者を目指して勉強しに動物園に来ている訳ではないのである。


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