■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.8 ■■■

   箱根芦ノ湖

箱根発展の礎は、横浜在住の海外滞在者のおカネから。避暑地として夏の間だけ栄えた訳である。それ以前の江戸期の様相は全く異なる。
東海道の宿場とはいえ、小田原宿から簡単に到達できる訳ではなかったからだ。標高差約700m、距離にして20km以上あり、傾斜角20度の山道が含まれている。苦労して芦ノ湖湖畔に至っても、面倒極まりない関所での改めがあり、時間をとられるから早目につかねばならない。なにせ、関所江戸側の元箱根は箱根神社を守ってきた人々の古くからの土着地で、宿場は関所を越えたところ。三島側の人々が移住させられた新興地。まさに、西武資本と小田急資本の対立のようなものが、江戸期から存在していたのである。
それはともかくとして、「北斎 v.s. 広重」を考えるなら、箱根は早目に見ておきたい題材である。なにせ、両者が完全に逆転したように映るからだ。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「相州箱根湖水」
実に大雑把な構成である。急峻な箱根の山越えさえ終われば、そこは動きのない穏やかな芦ノ湖。駒ケ岳も丘のようなもの。
人っ子一人無く、ところどころに存在する杉木立だけが唯一の生命の気配といったところ。
ただ、よく見れば、湖畔に茂る樹木のなかに箱根神社とおぼしき建物が存在している。言うまでもないが、そのもともとのご祭神は駒ケ岳である。三輪山をご祭神としている、日本最古の神社形式を踏襲するなら、畏敬すべきは、富士山もさることながら、箱根では先ずは駒ヶ岳なのだ。日本の土着信仰の対象は、急峻な山ではなく、地元の柔らかな低山ということ。もちろん、その前庭ともいうべき芦ノ湖にはお遣いが現れる訳である。そうした、深遠性を表現した訳で、当然ながら、余計なものは雲で隠されることになる。
北斎にとっては、箱根といえば、この神々しさというか、神秘性を感じさせる芦ノ湖の情景だった訳。海賊船とガラス張り眺望船が始終行き来する現代の観光地には不適な絵である。

○広重 東海道五十三次 「箱根(湖水図)」
北斎流の強烈なデフォルメを避けているかに見える広重だが、箱根ではその流儀を捨て去っている。ここぞとばかりの強い表現を駆使している。絵の中心に、山を屹立させ、湖水は添え物。岩峰もどきの山と、静かな水面を対比させた訳である。
大衆的な感覚なら、箱根の景色と言えば、駒ケ岳や箱根権現の筈。五十三次ご紹介ということなら箱根の宿場か関所でもよさそうなものだが、そうはいかなかった訳である。小田原からの辛い登り感覚をなんとしても絵に持ち込みたかったのだろう。
従って、メインテーマは須雲川上流の屏風山(948m)とそれに相対する二子山。眺めて感じ入るという話ではないから、急峻な山を描くことで、急傾斜の山道を感じさせる手を用いたということ。露出する岩を彩色することで尋常ではないと思わせる仕掛け。
しかも、よくよく見ると、迫り来る山の隙間に大名行列が存在していることがわかる。疲労困憊で甘酒茶屋に到着し、その後、細くて長い権現坂をただただ下っている様子が見てとれる。そのご一行にはまだまだ見えない芦ノ湖はシーンと静まりかえっているのだ。一方、富士山は白一色。この情景のなかではほとんど霞んだ存在。
しかしながら、現代の眼から眺めれば全く違う絵になる。山に囲まれ、湖越しの富士山眺望が堪能できるという点で、観光キャンペーン用イラストとしては絶品といえそう。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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