■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.13 ■■■

   岩峰の描き方

岩峰がウリの観光地は少なくないが、それを絵画にどう取り入れるかはなかなか難しい。単なる奇岩を写生するだけでは、余り面白くないからだ。そのため、どのようなモチーフにするかが画家の見せ所となる。ささっと描いているように見えるが、熟考したに違いない。

○葛飾北斎 富嶽三十六 「身延川裏不二」
身延山とは日蓮宗のメッカとも言える、総本山久遠寺の世界。もともとは山岳修行者の地だったと思われるが、その感覚は岩山の形状を見れば想像がつこうというもの。観光用語的には、急流の渓谷に並び立つ奇峰の深遠さという表現になるのかも知れぬ。
北斎は、ここに富士を持ってきて、奇妙な形態の岩峰と対比させることにした。当然ながら端整なコニーデ型の面影を感じさせないものとなっている。それが不二の裏面ということ。
じっくり練った構図だと思われるが、6層構造にしている。
  ・雲なき上空はまさしく空色
   (清んだ空気)
  ・山岳は前段、中段、後段
   (富士が岩山の後ろに控えているの図)
  ・山の中腹以下はボリーム感満点の雲
   (雲で隠される神域でもある深山)
  ・細かな水しぶきをあげながら怒涛のようにうねる渓流
   (急流感を盛り上げる点描)
  ・渓流と崖に挟まれた参詣街道
   (行き交う様々な人々)
  ・岩峰に相対する山側の木々
   (崖ではあるが緑は豊富)
そこで目につくのは、岩峰と競うかのように渓流にせりだした一本の樹木。精気を感じさせる仕掛けである。
そして、人々は淡々と歩むだけ。馬も首を下にかしげながら黙々と先に進む。

○広重 東海道五十三次 「阪之下(筆捨嶺)」
見方によっては、広重が描いた岩峰は北画の物真似に映る。禅寺用の狩野派流山水画への皮肉ととれないこともないかも。日本の箱庭的な風景には、中国の大陸的な奇岩や、雄大な景色はそぐわないのである。
言い方を変えれば、版画技法による日本型山水画に挑戦したとなろう。題材がそれにピッタリと嵌るからだ。なにせ、ここは狩野元信お墨付きの筆捨山こと岩根山。
ここぞとばかり、山水画的モチーフに仕立て上げた訳である。滝のような景観があるとも思えないし、おそらく、見晴らし茶屋からの眺め通りに描いた岩峰ではないと思われる。
景色を堪能する市井の旅人達は、ある意味七賢のような存在。ただ、茶屋には紙がぶる下がっていて枯淡からはほど遠いが。
あとは、決め手として、どうしても牛歩のシーンが欲しい訳である。
ただ、そこまで凝ると、南画臭紛々となり、新たな山水画としての勢いは失せてしまう。もっとも、それがかえって好まれたりして。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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