■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.16 ■■■

   毛色が違う、季節の心象風景

浮世絵の季節感表現はステレオタイプのものが主流。ただ、新しい技巧を駆使されると、新しいものの見方が提起されたような気がしてくるもの。そして、これぞ新時代幕開けと感じたりするが、思想的に苦闘の跡のかけらもない作品だったりする。
一方、一見、極く平凡な感じがする作品に、新時代の萌芽が隠れていたりする。
そんなものの一例として、心象風景で訴えかける手の作品を取り上げてみようか。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「従千住花街眺望ノ不二」
この作品、タイトルを理解した上で眺めないとなにも見えてこない。凡庸なモチーフに見えるが、奥が深そう。
遠景は富士山というよりは、干住花街の裏手。画面中央は一面畑だが、農民は休憩中。そして、手前は武士の行列。鉄砲を肩に担いでのんびりと行進中。緊張感なき情景である。
それこそが春めいて来た証拠。
たったこれだけの、なにげなきシーン。そこから何を感じ取るかは見る方にかかっている。ピーター・ブリューゲルの世界と似ている。

○広重 東海道五十三次 「濱松(冬枯ノ図)」
絵の中心は大きな木の傍らでの焚き火から、モクモクと立ち上る煙。
遠くに浜松城や鳥居が見えるが、ここら辺り一面は藁しか残っていない田圃だらけ。目に入る樹木といえば、冬枯の木立と「濱松」の疎林。
繁栄する城下町とは隔たった世界が描かれている訳である。
そんな場所に、仕事に一段落した人足連中が集まってくる。暖を取るのに便利というより、習い性。地元のお婆さんが毎日路地販売をする場所でもあり、ここに来ると、なんとなく寛げるのである。その温もりを感じるようになれば、まさしく冬のまっさかり。
冬の抒情詩的な作品に仕上げているが、広重が描いている「温もり」感がその枠内のものは限らないのである。北斎が描いた「春めき」とは、水と油だが、同根と考えることもできるのかも。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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