■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.17 ■■■ 木橋の魅力 橋の絵は少なくないが、橋そのものを題材にするのは、結構ホネだと思う。苦労したのではないかと思われる絵を眺めてみよう。 ○葛飾北斎 富嶽三十六景 「深川万年橋下」 美術のテキストで見た覚えがある。何故覚えているかと言えば、「機能美」を描いていると習ったから。どういう意味かよくわからず、頭がフル回転したため記憶に残っているのだと思われる。・・・石の橋なら材料が重いから構造上アーチ型が安定するが、木造なのに太鼓橋がどうして機能的に最適構造なのかよくわからなかったのである。少なくとも、通行人側からしてみれば機能性はえらく悪い筈だし。といっても、美術の先生にあえてそんな質問はしなかったが。 もう一つ習うのは、画面全体のバランス感覚。橋がドカンと描かれているから、普通なら即物的な建築用図面臭が出てしまう。美的感覚を削ぐことになりがち。そこを配置の妙でカバーしていると見る訳だ。空、橋、川のバランスと、川岸の遠近法表現が格段に優れているということ。 しかし、小生はそれ以上に重要なことがあると見ている。それは、川面の船と橋上の人の存在。どういう訳かわからぬが、眺めた瞬間にヒトに目が行くからだ。そのため、静的なモノの存在感より、動的な息吹を最初に感じてしまう。 従って、富士はここでは、オマケ。しかし、富士山シリーズの絵だから、眺める人は必ずその存在を探すことになる。そのため、全景をしばし眺めまわすことになる。この仕掛けが秀逸。富士は、まさにこの絵の臍のような存在である。 何故、そうなるかといえば、橋から見る富士山ではないから。この絵の肝は「橋下」目線。釣り人をもってきた効果も大きい。この存在のお陰で、橋を見上げる気分になってしまうのである。そして、大賑わいの橋をポカンと眺めている自分の存在を認識させられる。そこは忙しそうな人だらけで、誰一人として川面を覗くような人はいないのである。 ふーんとなり、遠くに望む小さな富士に目を移すことになる。橋下の空は美しくしばし感慨に耽る。・・・そこまで設計しつくされた絵である。 ○広重 東海道五十三次 「大尾 京師(三條大橋)」 終尾を飾る訳だから、広重にとっては結節点的な作品の筈。当然ながら、テーマである名所紹介的トーンは崩せない。東山の清水寺、八坂の塔、知恩院を望む、まさにこれぞ京都という情景に仕上げた訳である。と言うことで、京の都になくてはならぬ比叡山も、背景イメージとして起用。それらを対岸風景として眺めるというのが基本構成だが、俯瞰図的に橋そのものを眺めることができる絵に仕上げている。 従って、通行人描写が肝となる。ストーリー性が欲しいということで、片側には地元民代表。 ・笠をさす武士 ・かぶりものの公家の娘+御付 ・商家の娘+日傘持ちの下女 ・行商人 反対側は、当然ながら到着の人々。 ・行列(槍持、荷物、籠、・・・) ・賀茂川を覗き込む旅人 のんびりした旧都の風情を醸しだそうとの意図がありあり。 (ご注意) 本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。 北斎と広重からの学び−INDEX >>> HOME>>> (C) 2013 RandDManagement.com |