■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.19 ■■■

   茹だる夏の図

日本の夏は亜熱帯同様に日差しが強いだけでなく、モンスーン気候なので矢鱈蒸す。そんなところで、日光浴を楽しむなどもっての他。日中、外をうろうろしていれば熱射病になること受けあいだからだ。
作物の成長ということでは嬉しい季節ではあるが、光線を反射しているような緑は暑っ苦しさの象徴でもある。
従って、夏のモチーフとして、木陰や縁側で味わう緑風イメージを彷彿させるものや、朝露が付く草の葉のイメージを使うのが普通。人々の活動を対象にしたいなら、お昼寝とか、早朝あるいは陽の翳りがでてから。
ということで、北斎と広重はどのように夏の季節感を表現したか見てみよう。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「東都駿臺」
江戸は富士見坂だらけだったが、駿河台を富嶽絵シリーズから外す訳にはいかない。
ここは、江戸城北側台地の南東端に当たり景色抜群。しかも、開削工事で外堀を兼ねた神田川を切りれ込んだから、際立った高台。
そんな場所でなければとても住む気になれぬという煩型が住む地域でもある。言うまでもないが、家康亡き後の直属旗本達のお屋敷町ということ。
これをどう描くかは悩ましい。武家屋敷だからだ。
結果、北斎は、聖堂側の神田川へ降りる昌平坂道を選んだようだ。南北方向だから、富士山が見えるとは思えないが、絵は富士見坂そのもの。ともあれ、これなら、駿河台は対岸だから、描写はお屋敷の屋根だけですむ。
それを、夏の暑い日の午後という時間帯にしたのは秀逸。瓦の照り返しを感じさせるものとなるからだ。
しかも、日差しが弱まったところで、皆が一斉に移動し始めるから、江戸のせわしない情景を描くには最適。
なんといっても、この絵の肝は階段状の道での人通りの多様性。町人にとっては、時間は限られているから、互いにか気遣って歩く余裕などないが、そうでない人もいるのが都会の面白さ。
  ・のんびり歩く武士とお供
  ・大きな荷物を担ぎあえぐ行商人(頭に三角の扇子を翳している。)
  ・日除けを作る商売人(露店)
  ・経箱を担ぐ巡礼僧
  ・町人
  ・天秤棒で商品を運ぶ人
急いでいる人は階段をゆっくりしている人のスピードに合わせるなどまどろっこしくて、とてもできない。ということで、脇の崖上に平行バイパス道ができてしまったようだ。
  ・振り分け荷物にしてサッサカ登る人
  ・荷を担いで一気に駆け下りる人
  ・重い荷物もなんのそのの人
これぞ、江戸。京都や地方のゆったり感には耐え難いのである。夏だろうが、忙しない生活こそ命。

○広重 東海道五十三次 「池鯉鮒(首夏馬市)」
西三河の「知立/池鯉鮒[ちりゅう]」では馬市が開催されていたそうだ。綿の荷役用馬の取引から始まったと言われているが、もともと三河馬は有名。古くは、東三河の臨海地域が集散地だったと思われるが、街道が整備されて近隣地域も参加するようになり、より便利な野原がある西側に移ったと思われる。 
    702年 太上天皇(持統)幸于参三河国時歌
    引馬野に にほふ榛原 入り乱れ
    衣にほはせ 旅のしるしに [長忌寸奥磨 万葉集#57]
馬市の情景もさることながら、日本人からみて「広大な」草原を感じさせようというのが、テーマなのだろう。要するに、初夏の、辺り一面草いきれ状態を描きたかった訳である。
こんもりとした丘があるが、その名称は知る人ぞ知る「くじら山」。まさに、草原の海になだらかな背を見せている鯨そのもの。
競りの人々が集まっているのは、「談合松」と名付けられた孤木の下。そこに弁当売りが向かう。馬飼は、他の馬を眺めたりして、えらく商売熱心である。日々の生活は、季節がどうなろうと、淡々と進む。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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