■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.20 ■■■

   コンポジションの妙

北斎と広重の構図の違いに関する話は始終耳にする。そりゃその通りかも知れぬというだけのこと。従って、聞かされる方は、あー、そんなもんですかと対応する以外に手はなかろう。議論したいなら、どうしてそのような構図にしたのかから始めないと。
そんな切欠になるかどうかはわからぬが、・・・。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「東都浅艸本願寺」
ステレオタイプの解説に習えば相似三角形の妙とされる作品である。東本願寺の屋根と富士山を対比的に描いている点を重視する訳だ。
しかし、肝は本堂大屋根そのものではなく、そこで仕事中の瓦職人ではないか。遠くに見える富士山より、ずっと高い位置に映るようにしているのは、職人達の気概を表しているのではなかろうか。頂点を極めようとの心意気を表現しているように感じるのだが、どんなものかナ。
それを引き立たせるべく小道具が用意されているように思う。
  ・雲を突き抜ける、朱色で目立つ奴凧と火見櫓
  ・遙か下界に映る浅草の町並
高い所から眺める景色の愉しみとは何かを問うている作品でもある。

○広重 東海道五十三次 「平塚(縄手道)」
様々な形がこれでもかというほどに詰め込まれているので、ガチャガチャ感が否めない構図である。北斎流とは180度異なる方針なのは間違いなさそう。
  ・「く」の字にクネクネ曲がる縄手道
  ・それを目だ立たせる、静かな湖水のような周囲の平地
  ・平地からこんもり丸く盛り上がった高麗山
  ・横にはゴツゴツした山並み
  ・それらの背後に隠れるように富士山
他はほとんど小道具に近い。
  ・国境の棒標杭と立て札
  ・走る飛脚と地元の人
  ・まばらな松並木(宿場近くは密)
どうだ、こんな景色も面白いだろうといわんばかり。

○広重 東海道五十三次 「吉原(左富士)」
こちらはビックリ構図である。街道というのに、馬一頭が通る幅しかない。そんな道がうねうねとS字型になって遠くまで続く。それが目立つのは、かなり遠方の疎林以外は、平坦な野原しかなく、海面の上に細い道ができているように見えるから。
その道を眺めるか如くに、遠景の富士山が端正な稜線を見せている。
しかも街道はずっと松並木だが、通行中の馬が描かれている箇所の木々だけ、トンネルのように覆いかぶさっているのだ。
その馬だが、いかにものんびりとお散歩といった歩み。乗っているのも、親子で、風景を眺めながらの旅という風情。
まるで、遊園地として作られた街道に映る。
と言うか、そう見えるように描かれたということ。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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