■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.26 ■■■

   海の風景画

浜、浦、島や、川、湖の眺望を示す題名は付けるが、相模湾、駿河湾、遠州灘といった海そのものの名称は登場しない。せいぜいが、「神奈川沖」とか「海路」という言い方まで。
素晴らしい海の景色が堪能できるなら、海の名称で呼んでもよさそうに思うが、陸上のどこから眺めたかで決まるから、そうならないということか。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「相州七里濱」
タイトルからすると、東端の稲村ヶ崎から西端の小動崎[こゆるぎ]までの浜辺を描いていそう。ところが、先入観無しで眺めれば、とてもそんな絵には見えない。浜が見当たらないからだ。ただ、描かれている景色は、確かに、地図上では七里ヶ浜の範囲で間違いはない。そもそも、7里というのは言葉の綾で、砂浜を歩けばせいぜが4Kmといったところ。
要するに、この絵は、浜ではなく、鎌倉山から眺めた相模湾が対象なのである。細かく言うなら、七里ヶ浜沖となる。富士山は小動崎の背後に顔を出しているだけ。江ノ島は軽視されており、付け足し的に描かれている。新田義貞が鎌倉攻めに当たって戦勝祈願した場所とはいえ、それほどの名所とも思えない場所を目立たせようとしていることになる。
してみると、この絵のハイライトは海面からの照り返しということか。ともあれ、これは、相模の海の風景画ということ。
ちなみに、北斎は同じ頃に「琉球八景」も描いており、そのなかに那覇港内に作った要塞と道路を題材とした「臨海湖声」がある。元ネタの琉陽八景図の「潮」をわざわざ「湖」に替え、波を描くのを止めている。海を描くにあたっては、なにか思惑がありそう。武家である谷文晁のように、お上の顔色をうかがいながら海を描くのは真っ平ご免ということかね。

○広重 東海道五十三次 「江尻(三保遠望)」
誰が見ても、これは、久能山から三保の松原方向を眺めた絵。遠すぎて松原と認識できるとは思えない。
つまり、富士山や伊豆半島辺りまで入る駿河湾の大パノラマを題材にしている訳で、三保を取り上げている訳ではない。
海面には、極めて多数の帆が描かれており、海上交通が活発であったことを物語る。明らかに、海の風景画である。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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