■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.27 ■■■

   雨画

「雪月花」が情緒画の基本だが、浮世絵は、そこに雨も加えたと言えるのかも。もっぱら、広重の影響。
稲が伸びる上で欠かせない梅雨や、盛夏の暑さを和らげる夕立は、嬉しい気象なので歌には読まれるものの表現技術が今一歩だったので、雨の情緒を絵画に持ち込もうとする絵師が滅多にいなかったのだろう。
北斎はその辺りを考慮してか、繊細な降雨表現は避けている。「白雨」にしても、絵を見る側にそのシーンを想像させるという、強引なやり方。絵に漂う叙情感を通じて、絵師と会話するような鑑賞の仕方はまっぴらご免ということか。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「山下白雨」
右やや上方から夕日が差し込んでいるようだ。「赤富士」との命名は俗っぽいが、これを「黒富士」とするのは、含蓄があってなかなか良さげだが、「黒」との呼び名は余り好かれていないようだ。
この絵の面白い点は、よく見れば4層表現なのに、それが一体化しているように感じる点。
 ・頂上は雲一つなき快晴
 ・中腹を埋めているたなびく雲
 ・山懐の原には早くも夜の帳
 ・裾野では雷鳴轟き突然の夕立
突然中腹に雷雲がたち込め始め、山全体が一挙に暗くなり、山麓の人里では閃光と雷鳴を伴った土砂降り状態の夕立と解釈してしまう仕掛けなのだ。そんな小さな山ではないのだが。

○広重 東海道五十三次 「庄野(白雨)」
予期していなかった夕立に対応するため、どこかで雨宿りできないかと、急な坂道で大慌ての人達が描かれている。技巧的には最高峰ともいえる作品である。

○広重 東海道五十三次 「土山(春之雨)」
雨量が多いとされている地域である。と言うか、「雨」そのものが名所なのである。もちろん、鈴鹿馬子唄での話。
  坂は照る照る 鈴鹿は曇る
  あいの土山 雨が降る
地勢的には伊勢湾側から登って鈴鹿峠を越えたところだから、それほど雨だらけとは思えないから、川の増水が派手だったでは。
鈴鹿峠にしても難所とされるが、標高は低い。江戸から来てそろそろ疲れが溜まる頃の山道は辛いといったところではなかろうか。
この絵は、そうした流布しているイメージに沿ったもの。すでに増水し始めている川に架かる橋を大名行列が渡り始めたところ。結構強い雨に見えるが、この程度の小降りなら、合羽に菅笠で十分と、先を急いでいる図。表現は巧みである。

○広重 東海道五十三次 「大磯(虎ヶ雨)」
「虎ヶ雨」とは大磯の遊女・虎御前が流した涙を指し、梅雨のこと。曽我十郎の仇討ち話は誰でもが知っていたということか。あるいは、劇が流行っていたからすかさずということか。それなら、工夫の余地が大いにありそうな感じもするのだが。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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