■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.30 ■■■

   農民の姿

農民の生活域での感興を描いた絵を見てみたい。絵師にとっては農民の生活に根ざした動きには興味を覚えたに違いない。流通が発達し、人の移動もできるようになってくると、そこいら辺りを題材にしたくなるのはよくわかる。だだ、それをどう扱うかで、思想性がもろに出る。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「相州仲原」
平塚近辺の地名らしい。絵の中心に描かれている石像は、裏側だけだが、これが大山参詣道入口を示す道標でもあるということか。
大山方面に、渋田川沿いの道をのんびりと人々が歩いていく情景がテーマのようである。
様々な人が通る。・・・
  ・風呂敷と番傘を背負い富士を眺める男
  ・川面を眺める大山講の御師
  ・後ろを振り返る、天秤棒を担いだ行商人
小橋を渡っているのは、・・・
  ・上手にモノを運んでいる裸足の農婦
    -左手で頭上の弁当を入れた桶を押さえる。
    -右手で鍬を水平に持ち、棒に籠をかける。
    -背中に赤ん坊をおぶる。
  ・厨子を背負う巡礼の親
  ・親に付き従い、鉦を鳴らす子供
そんな通行人に全く関心を示さず、川の中で地元の人が仕事中。・・・
  ・川で籠漁をしている男
なんということもない情景であるが、おそらく配慮に配慮を重ねた結果の登場人物。互いに繋がりが無い人達だが、底では繋がっているのではないかと思わせる細工が施されていそう。なかでも、吸い込まれ得そうな川と、全体を包みこんでいるような富士山の存在が大きい。富士山信仰者には、心に染みること間違いなし。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「隠田の水車」
現在は暗渠化された渋谷川沿いだが、地形から見て、この辺りならこのような光景は珍しくもなかったと思われる。絵師なら、水車小屋より、水車の水流に見とれてしまうのでは。見飽きずいつまでも眺めてしまいかねない。そんなこともあって、いつか題材として取り入れようと狙っていたのでは。
そう思うのは、この水車小屋が歪んで見えるからである。どうしても水の流れを描きたいため、そうならざるを得ないというだけの話。
もっとも、描かれている農民達にとってはそんな美意識など皆無。流水は洗い場でしかないし、男達にとっては玄米を精米所に担ぎ上げる仕事場。水流になんとはなしに面白味を感じるのは、親についてきた子供だけ。もっともすぐ飽きてしまうので、亀をつれてきたりする訳である。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「武州千住」
場所は荒川から隅田川に繋がる元宿掘の水門だそうである。そこで、ふと富士山を見入ってしまった人達の図。
  ・刈った草を馬で運んでいる途中、つい。
    子供への土産の亀をひきずりながら。
  ・二人で釣りをしていて、なんとはなしに、つい。
もしかすると、彼らは言葉を交わしているのではないかと思わせる雰囲気が漂う。そして、背景はいかにも豊かそうな農村地域。

○広重 東海道五十三次 「石薬師(石薬師寺)」
石薬師は、庄野同様に、四日市と亀山の間に作られた小さな宿場。街道に面して、参勤交代の際には道中の安全祈願で参拝することになっていたようだ。このお寺、創建が726年であり、大和の古い文化を継承していそう。
従って、この一帯は農村地帯と見てよいだろう。そんな状況を、絵は如実に物語る。
杉木立に囲まれた石薬師寺の正門前に旅人はいるものの、画面で目に付くのは荷の運搬と農作業中の人々だけ。そして、背景は、いかにもという、大和型の山々。
静寂感を呼びさますように作った絵といえよう。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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