■■■ 北斎と広重からの学び 2013.1.31 ■■■

   峠道

坂道は山や海が見わたせたりすれば、地元の人達が我が地には素晴らしい眺めの場所があると誇るので、名所化しやすい。街道の峠道なら尚更。
もともと、荷物を持って毎日40Km踏破するのだから、峠を越すだけでえらい難儀。どこかで気晴らしできないとやってられぬというところだろう。絶景でもあれば感激ひとしお。この感覚、車の時代になっても抜けないようで、中央高速上りの談合坂SAは混み合うことが多い。時間的に都合のよい場所というだけではなさそう。
絵の難しさは、この感覚表現。苦労して登ったことからくる喜びをどう組み入れるかが腕のみせどころとなる。ただ、それは愉しい作業でもある。
一方、それが通用しない峠道もある。樹木で鬱蒼としていて、ただただ歩むだけといった場合。これだと気分的に辛い。それこそ南アルプスの「来ただけ(北岳)」登山のようなもの。それを題材にする気にはなかなかならないものだが、なにか物語り性を感じたりすれば、これはこれで結構面白い。
そんな観点で両者の絵を眺めてみよう。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「甲州犬目峠」
犬目峠とは、JR中央東線を利用する東京からの1日ハイキングコースの領域に属すると思われる。鉄道は小仏峠をトンネルで抜けていく。その先も、駅の間はトンネルだらけ。南側は切れ込んだ渓谷で北側は山。降雨量が多いとすぐに運転中止になることで有名な場所である。
  相模湖駅→藤野駅→上野原駅→四方津駅→梁川駅→鳥沢駅
たいていは川を渡って前段の山に登る。せいぜいが1000m。それを越えれば道志川。北側ももちろんコースがあるが、中央高速道路があるので敬遠されがち。もちろん、甲州街道はその近く。こうした地形を考えれば、この辺りのハイキングコースでは、直前の視界を遮るものがないと、富士山がくっきり見える。北側の山道では、南側が切れ込むから、道の南側の木々が取り払われているなら、北斎描く情景はどこでもありうる。絵が真景を反映しているとすると、江戸期は伐採が相当進んでいたか、山火事があったりしたことになる。どちらも、あり得ないことではない。
尚、宿場順路ではこうなる。
  (1) 日本橋→(2) 内藤新宿→・・・→(10) 府中→・・・→
  (15) 与瀬(相模湖)→(16) 吉野→(17) 関野→
  (18) 上野原→(19) 鶴川→(20) 野田尻→(21) 犬目→
  (22) 下鳥沢→(23) 上鳥沢→
こんなことを書きたくなってしまうのは、この絵には、北斎的な緊張感が欠落しているからである。
峠道は結構急なのだが、そう感じさせないような「なだらかさ」があり、尾根道だというのに柔らかそうな草地。樹木は少ないが風に立ち向かって生えているような風情を全く感じさせない。そして切れ込む谷側は雲で隠れているため、まるで丘の如き風景。
そして、絵では豆粒の大きさでしかないが、峠道は空いていて、歩く旅人や駄馬の歩みもゆったりとしていることが見てよれる。
北斎翁、息抜きの一品である。

○広重 東海道五十三次 「岡部(宇津之山)」
これは伊勢物語の絵である。
  宇津の山にいたりて
  わが入らむとする道は いと暗う細きに
  つたかえでは茂り
  物心ぼそく
  すずろなるめを見ることと思ふに・・・
    [伊勢物語 九段]

従って、蔦の絡まった木に覆われて薄暗い細い峠道であって欲しい訳。戦国時代を経て、そんな古道はなくなってしまったろうが、それを彷彿させる情景にしたい訳である。
そのため、単純な構成の割りには、手の込んだ感じがする絵になっていいる。それほど寂しい山道とは感じない人もいるかも。
  ・鬱蒼感を出すため空は僅かしか見えない。
  ・道の両側の斜面は黒色がかっておりかなり暗い。
  ・紅葉した樹木が一本だけ見える。
ここで知り合いにばったり出くわしたい気分になるような通行人が描ければ言うことなしだが、そうはいかない。ただ、その気分を出そうとしているのは確か。峠を見上げる旅人の目前に、薪や籠を担いだ人が次々と現れることになるからだ。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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