■■■ 北斎と広重からの学び 2013.2.11 ■■■

   暗喩か?

素人からすれば、恣意的なトンデモ表現に映る作品が散見される。まあ、そう感じない人の方が多いようだが。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「武陽佃嶌」
大川(隅田川)河口から眺めた佃島だ。その周囲に、距離感がよくわからない状況で、バラバラと沢山の船を登場させている。しかも、その向きは皆違う。おかげで、ガチャガチャとした乱雑な感じが生まれてしまった。恣意的に遠近法を崩しているのだ。
何故、このように描いたのだろうか。
人夫寄場で知られる石川島も一緒だから、ゴチャ混ぜで行こうということか。それとも、佃島の連中は独自の主張で混乱させているとでも言いたかったのか。それは考えすぎか。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「甲州三坂水面」
河口湖畔の静かな風景。
ところが良く見ると、湖面に逆さ富士の姿。オヤッ、山中湖だと有名だが河口湖も見える場所があるのかとなる。そこでよくよく眺める訳で、ギョッとなる。山の姿から見て、どうもても季節は夏だ。ところが映っているのは冬山とくる。しかも、位置がかなりずれている。冗談にしては度が過ぎる。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「登戸浦」
汐干狩中なのだろうか。ただ、もう夕刻近い雰囲気である。なにか愉しげな感じがするのは、思ったより沢山採れたということか。場所は千葉辺りだから、別に違和感を覚えるような情景ではない。
ただ、砂浜に鳥居が2つにょっきり立つ風景はそうそうあるものではなかろう。と言っても、実際の景色がそうなのだろうが。ただ、名所とされているようにも思えないのに、どうして題材として選んだのかよくわからぬ。この鳥居だが、創建したばかりの妙見様を祀っている登渡神社のものだそうだ。台地の上にあり社殿は見えないが。
何故、気になるかといえば、この2つの鳥居が不安定な気分を呼び起こすからである。遠近法の効果が出ていないため、よじれた感じを受けるのだ。手前はそびえ立つような大きさなのに対して、後側は簡素にして小さすぎるからである。
うーむ。
これぞまさしく北斎らしさと洒落ているのかも。

○広重 東海道五十三次 「二川(猿ヶ馬場)」
驚くことに、この絵には空が無い。都会には本当の空がないという意味ではなく、空が無い世界が描かれているのである。
なだらかな丘だらけだが、そこには、松の疎林。
名物「かしわ餅」の茶店のシーンにしては異常な構成。
買い求めている旅人以外には、絣姿で楽器を持った3人の女性が歩いているだけ。
そこで、ハタと気付く訳である。瞽女の情景なのである。
なるほどそういうことか。

○広重 東海道五十三次 「奥津(興津川)」
なんとも理解し難き、力士渡河のシーン。相撲のイベントでもあるならわかるが、興津にそんな催しがあるとも思えないし。
ただ、二人の力士の態度の違いの差には気付かされるから、その辺りがなんらかの寓意でもあるということなのだろうか。
一人は、首に綱のように手拭を巻き、馬の背に乗ってのんびりとしている。もう一人は、駕篭にどうにか納まっている状態。煙管を手に持ってはいるものの、乗り出して水面を眺めており、駕篭の底が抜けないかとご心配の様子。もちろん、駕篭かきはそんなことには無関心。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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