■■■ 北斎と広重からの学び 2013.2.13 ■■■

   見知らぬ人との出会い

名所画では普通は人物は添え物。描きたいのは、名所たる所以の方で、直接的に表現するか、間接的に示唆することで思いを伝えるか、手法は色々あるが人の描写は恣意的に手抜きするもの。そこに注意を向けられてはこまるからである。
しかし、どうもそうでもなさそうな絵もある。人の描写が主で、名所は従というか、ほとんどどうでもよいような扱い。そこら辺りに気付くと、なかなか面白い。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「五百らかん寺さざゐどう」
天恩山五百羅漢寺は、竪川(墨田川に直角に入る運河)を横切る「五ッ目」道に面していた大きなお寺。竪川開削で街が発展し、人々はウキウキしていた頃の絵である。このお寺は、この地域発展のシンボル的存在だったと思われる。
そんな時代を象徴するような建物が栄螺堂。三層の堂宇で、入り口から右周りのスロープを登っていくと屋上に出て、今度は左回りに降りると出口という、一方通行で全部を巡れるという珍しい構造の建物。百観音(西国/坂東/秩父)を一気にお参りできるので大人気だったろう。当たり前の話だが、それぞれの観音像は寄進であり、寄進者と仏師の競争の場でもあった訳で、それがお参りの人を増やす効果を生むことになる。
比較的近辺に住んでいたと思われるから、北斎翁お気に入りの場所だったろう。おそらく、名匠の作った羅漢像や観音像を食い入るように見つめたに違いない。そして、気分転換に栄螺堂から、木場や発展中の大島の情景をお参りの人に混じって眺めた筈。
そう思うのは、屋上のシーンの目線がそこにいる人達と同じだから。いかにも、一緒にいるかのよう。参拝での知らない人との出会い感覚を呼び覚ます絵に仕上げた訳である。いかにも、互いに声をかけあっていそう。
  ・町家の男衆
  ・子供連れの女房達
  ・丁稚
  ・巡礼者
考えてみれば、この情景を描いた版画は残っており、こうして鑑賞され続けているのだが、奇異な建築物は跡形もなく、羅漢像は移転先にかなり残ってはいるものの、観音像はどこかに消え去ってしまった訳である。サザエの涙といったところか。

○広重 東海道五十三次 「府中(安倍川)」
着物を着たまま渡らざるを得ない女性旅人は3つの渡河方法から選んだようである。財布の調子で選んだのだろうか。
  ・駕篭ごと蓮台。
  ・直接蓮台。
  ・肩車。
一方、男性の場合は、裸になって渡ることもできた。
  ・川人足による荷物運びと誘導。
大きい荷は、馬で運んでもらうことになっていたようである。
こうしてみていると、渡河案内図のように思えてしまうが、旅人にしても微妙な違いを描いているようだ。様々な人が往来する様子を示していると考えた方がよさそう。そして、当然ながら、人足と旅人、旅人どうしが語らい合うことになる訳である。それはサービス商売のための会話として閉じているとは思えまい。と言うか、そうではなさそうな雰囲気を出そうとしている絵である。名所絵ではなく、そこでの人々を描いた絵というべきだと思う。

○広重 東海道五十三次 「掛川(秋葉山遠望)」
川に架かる橋が絵の大半を占めており、遠景は火難除けのご利益で知られる秋葉神社がある山。但し、空にあがっている2つの凧にも目が行く。
  ・絵の枠をはみ出すほど高く上がっている凧
  ・糸が切れて遠くに飛び去っていく凧
まあ、橋のふもとの常夜灯と同じく、情景に合わせた小道具と見てよかろう。
メインはあくまでも橋上の人。丁度、2グループが出会ったところ。
  ・僧侶と小坊主
  ・家族3名
荷物持ちの小坊主は疲労困憊の様子だが、僧侶はいたって涼しげで、扇子を広げ余裕綽々の態。
これに対して旅の親子連れの対応が丁寧。父親は深々と会釈。母親は腰が曲がるほど深く敬意を表している。子供はそんなことおかまいなしに、遊び態勢。この後、僧侶が言葉をかけたのではないかと思わせるシーン。まさに旅の出会いである。
そして、この絵の光るのは、登場人物はこの2グループだけでなく、もう1グループあるという点。中景の田圃では農民が腰を屈めて農作業中なのである。

○広重 東海道五十三次 「大津(走井茶店)」
有名な走るように水が湧く井戸がどんなものか紹介するための絵だと思われるが、茶店の賑わいより、巨大な荷車を引く牛が目立つ絵である。江戸からすれば、牛車が多いことが、風土の違いを表す上で一番簡単なのであろう。日本橋で登場するような魚の行商人を描いたのと合わせ、もう京はすぐそこ感を生み出そうとしたのだと思われる。
幼児もいたりして、まさに京近くの茶屋前の日常を思わせるわけだが、描きたかったのは茶店のなかでは。少数だが旅人が入っており、お店では「走井餅」を実演販売中。休憩用施設であるのだが、自ずとここで会話が始まる筈。それが旅ということ。そんな気分をほんのりと味わうことができそうな程度に描いたのだと思う。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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