■■■ 北斎と広重からの学び 2013.2.14 ■■■

   職人芸

富嶽三十六景には、職人頂点を極めていそうな人がちょくちょく登場する。しかも斬新な構図とともに。これぞ北斎の真骨頂ということになるが、それは時代精神そのものでもあろう。その辺りを考えてみたい。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「尾州不二見原」
中央に大きな桶の円。そのなかに桶職人と遠景の極く小さな富士山。場所的に、ここら辺りが富士の姿を眺めることができる限界。
なんと言っても圧巻は、名産地ということでもなかろうに、桶が緻密に描かれていること。そして道具や材料一式も揃っており、全霊を振り絞り丁寧に作り上げている最中の桶職人がいる。その仕事振りには、感嘆せざるを得まい。
それは北斎の姿とダブル。傑作である。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「遠江山中」
山間部における巨木材の切り出し
職人は頑固であり、頂点を極めるべく日々の仕事に精を出す。チームワークを嫌っている訳ではなく、人に頼って成果をあげてもなんの進歩もないと思うからだろう。なにはともあれ最善を尽くさなければ気がすまないし、最高峰を目指して生き続けたい訳だ。
そんな気分が画面いっぱいに広がるように描いたのが山中における材木挽き。互いに協力して仕事をしてはいるが、それぞれが自分の仕事に全力投球中。
それを十二分にわかっている女房は弁当運びで、子供は残材の焚き火管理。そこから立ち上る煙の情感がなんともいえず、職人達の職場の雰囲気を盛り上げている。
描くものが多すぎて、バラバラになりかねない構図だが、どうしてもそんな世界を描きたかったから、熟考の上、あえて取り組んだ挑戦的な作品だと思われる。

○葛飾北斎 富嶽三十六景 「甲州石班澤」
美術のテキストに掲載されたりするので、よく知られた絵である。藍一色なのが、この情景にマッチしているので、誰でもが褒める万人向きの作品と言ってよさそう。
しかし、この絵はシリーズのなかでは超異端である。遠近感の表現を全くしていないからだ。にもかかわらず、見る方は立体感を感じてしまう。藍色の濃淡だけで、そんなことを実現しているなら、頭抜けた技巧力を見せ付けた作品と呼んで間違いなかろう。
小生は、そんなことではなく、モチーフが秀逸なので、眺める方が頭のなかで勝手に立体像を生み出しているのではないかと見ている。その切欠は、突き出した岩に立つ漁師の姿勢。見た瞬間、並々ならぬ力量の持ち主ということがわかる。しかも、投げ網の綱がピンと張った様子から見て、名人芸的な漁に違いあるまいと判断してしまう。その瞬間、このシーン全体が一つの空間を形作ることになる。それこそ、「漁の道」を極めるべく精進を重ねている職人の世界が生まれるのである。
他の人がこの宇宙に入ってくる余地は無い。例外は、童子だけ。

○広重 東海道五十三次 「水口(名物干瓢)」
現代の干瓢産地としては、栃木県が頭抜けているが、近江の水口藩主が下野の壬生藩主となり、大々的に生産が進んだかららしい。この国替えだが、広重の生まれる前のこと。
もちろん瓢(夕顔の実)が上質でないと話にならない訳で、瘤や傷が無いように育てる必要がある訳だ。それさえできれば、後はワタが入らないように剥いて干すだけの単純仕事。しかし、均等な幅と厚みで、十分な長さがあるものだけが特級であるのは今も昔も同じ。そして、干す場合でも工夫しないと掛けた部分だけ色変わりしてしまう。いいものを作ろうとすると結構厄介なもの。
剥き仕事は、おそらく、剃刀を使うのだろうが、職人芸に近いのではなかろうか。
それはそれとして、53宿を通して、いかにも名物も紹介されていそうな感じがするかも知れぬが、江戸期の諸国名産品ラッシュを考えると、実態は逆と見るべきである。できる限り、特産品を打ち出さないように注意を払っているとしか思えない。そこに神経を集中されたくないのだろう。そんななかで、干瓢は別扱い。その理由は、夕顔イメージだと思われる。そう言えば一枚の絵にお気付きになるのでは。なにげなくくつろいでいる、極く普通の農民家族の姿を描いた、久隅守景の淡彩墨画「夕顔棚納涼図」(1650年頃か?)。おそらく、「干瓢」という題材だけで、広重の意図がわかる人がそこここに存在した時代だったのである。

(ご注意)
本稿の意図は、マインドセットからの解放につながるような、鑑賞手引きの提供です。こんな話に興味を覚える方のためのもので、浮世絵の素人芸術論を展開している訳ではありません。尚、現段階では、ウエブ上の閲覧対象としては、アダチ版画拡大版をお勧めします。


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