■■■ 北斎と広重からの学び 2013.2.20 ■■■

   職人としての誇り

北斎はまごうかたなき「江戸人」だが、堀文子画伯もご自分のことをそうおっしゃている。常識的には、職人と芸術家は全く異なるのだが。なにせ、後者の一番の特徴は自我の発露。
どういう意味なのか、ご紹介しておこう。

なんと言っても、堀文子画伯の凄みは、江戸の精神を引き継いでいると自負されており、それを隠さずに表明する点。まあ、出身で言えばその通りではあるのだが。
  ・葛飾北斎は本所生まれ。
  ・堀文子画伯は麹町生まれ。
両者のジャンルは違うとはいえ、その江戸っ子としての心根は似ている。御用絵師の筆頭役になるとか、大きな壁画を依頼されるようになれば「上がり」といった人生双六などまっぴらご免ということ。

心底から、自由人で居たいのである。それは我侭勝手に生きることとは違って、自分の欲望を犠牲にするということ。「自由の裏には過酷な任務がある」訳で、命懸けでないと、自由の実現などとうてい無理なのだ。以下の鉄則を守らねばならないのである。凡人には辛かろう。
  ・群れない。
  ・慣れない。
  ・頼らない。
これができないなら、まともな職人とはみなされなかったのが江戸時代。北斎の富嶽三十六景を眺めれば、すぐわかる。

堀文子画伯は、一ミリでも上昇して死にたいというのが信条。自分を甘やかすことなく、「死ぬまで現役の職人」として生きる覚悟だという。「私のなかに潜む未知の能力がまだ芽をふいてない」と考えるなら、それは当然の姿勢でもある。
  ・葛飾北斎は1760年生まれ。
    -63歳で富嶽三十六景出版開始。
    -90歳で「富士越龍図」を描き、現役続行。
    -最期の言葉 天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし
  ・堀文子画伯は1918年生まれ。
    -81歳でヒマラヤでブルーポピー取材旅行。
    -90歳代で尚現役。2013年現在で、・・・
        サライに「命といふもの」連載中
        月刊PHPの表紙絵連載中

北斎はこうした真の職人に深い尊敬の念を抱いていたと思われる。逆に、そうした人達が伸びていく上で、阻害要因となっていそうなものに対してはえらく辛辣である。それが、富嶽三十六景のはしはしに現れているのである。

(引用書) 堀文子: 「堀文子の言葉 ひとりで生きる」求龍堂 2010年
(当サイト過去記載) ヒットしそうな日本画(20040611)、「老いて、若返る」の立ち見感(2012.2.13)


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