■■■ 北斎と広重からの学び 2013.2.28 ■■■

   ネーデルランドの銅版画

西欧で一番よく知られている日本の絵画といえば、北斎と広重の浮世絵ではあるまいか。印象派の画家に大きな影響を与えたとされているせいもあるし。
それはそうなのだろうが、北斎と広重が西欧から受けた影響の方もしっかりと見ておいた方がよかろう。それは、遠近法の技巧といったテクニカルな話ではないと思うからだ。

ということで、北斎で考えてみたい。ジャンルが広く、多作の上、方向転換が頻繁とくる。従って、展覧会等では雅号で仕分けをして、どのような展開が図られたか解説してくれることが多い。こんな調子、・・・。
   「春朗」
 → (30代半ば)「宗理」 → (40代半ば)「葛飾北斎」
     
 → (50代)「戴斗」 → (60代)「為一」 → (70代半ば)「画狂老人卍」
それはそうだが、年譜の製作年に従った作品分析からその進化をたどることをやめ、全体を大雑把にとらえると、北斎の思想遍歴が見えてくるのではなかろうか。製作年との矛盾を気にせず、前後逆だろうか、流れがわかるように強引に時代区分すると、どうしてそんなことをするのかわかってくる。
  ・幼少期…職人社会のなかで成長
    -本所の貧しい百姓の子
    -幼児期に御用達鏡磨師養子に
    -実子家督相続で丁稚奉公
  ・10歳代後半…様々な流派のスキルを徹底して体得
    -版木彫職人見習から絵師入門
    -技巧の全方位的習得(流派を超越)
  ・20歳代…習得スキルを傾注した精力的な作品創出活動
    -なんでも受注屋(飯の種)
    -ステレオタイプな人物画(役者/相撲絵)
  ・30歳代…描き方工夫で新境地
    -時代に合った耽美的美人画や風俗画
    -西洋型遠近法の背景で新機軸
    -浮世絵大家への挑戦
  ・40歳代…風景画分野の確立
    -陰影導入による心情訴求
    -背景の独立モチーフ化
  ・50歳代…イマジネーションの苦闘
    -想像の世界を描く挿絵
    -画材選ばず
  ・50歳代後半…モチーフ基礎論に傾倒
    -絵手本
    -「北斎漫画」 (絵の随筆)
  ・70歳代…独自世界の構築
    -「冨嶽三十六景」に一気に昇華
    -超目立つイベント
  ・70歳代中盤…受注型の錦絵回帰
    -花鳥等の精密描写
    -寓意静物画
  ・80歳代…怒涛のような表現欲
    -版画下絵からの脱出
    -色肉筆画
  ・享年88歳

もともと、絵師はパトロンが属す組織内の誰が見てもわかる絵を描くのが仕事だった筈。従って、題材は宗教か物語/詩歌が主流。装飾志向が高まると、直接的な意味は薄れても、その雰囲気を保つことは必須条件。ただ、それに反撥する潮流ももちろんあるが、せいぜいが「悪」とされる領域の風俗に関係するだけで、本質的にはなにも変わっていない。
ところが、北斎はこの原理に当てはまらない方向に向かってつき進んだようである。絵師とは、虚構の世界を作り出し、そこに暗喩を紛れ込ませることなしにはプロとは言えない考えているということ。「奇想」と言うか、独自のイマジネーションを提示すべく一歩一歩階段を上ってきた風に映るのである。

そんな道を選んだのは、若い時にネーデルランドの銅版画をじっくり眺める機会があったせいではないか。宗教画以外は結構江戸にも入ってきた筈であり、十分ありえる話だと思う。時期的には、ルネサンス後期からバロックにさしかかる辺りの作品と想定する。典型的画家としては、ピーター・ブリューゲル(1525-1569年)。首府の職人町に移り住んでから、短期間で一気に巨匠に上り詰めたが、実に短命だった。版画下絵師だから、北斎も親近感を感じたのでは。

さて、その銅版画絵の中身だが、アルプスの岩峰やイタリアの湾岸といった風景画、寓意がありそうな訳のわからぬ奇怪な絵、人物画、農民を描いた風俗画といったところ。
おそらく、それぞれ、見た瞬間ピンとくるものがあったろう。・・・

○風景画だとパノラマ型構図が基本。広がっているので、絵そのものからテーマはすぐに読み取れない。それは、焦点のあてどころが自明ではないからでもある。どこかに組み込まれている象徴的な事物を、見る側が発見して判断するしかないのである。表現技巧に注目したのは勿論だが、それ以上に、絵師として風景をどう扱うべきか深く考えさせられたに違いない。

○そして、奇怪な寓話絵にもえらく驚かされた筈。和風に焼直せば、妖怪でしかなく、そんな表現を通じて、人の本質を抉ろうとしている絵師の苦闘を感じた筈だ。いつか自分も挑戦したいと考えたのは間違いあるまい。

○人物画は、なんといっても、その対象が市民であることで、彼我の違いがどういうことか、熟考したろう。そして、絵姿で何を表現しているのかじっくりと見つめたと思う。

○おそらく、一番衝撃を受けた絵が風俗画。絵の顧客は都会の市民であることは歴然としているのに、描かれているのは農民の遊興シーンが多いのである。びっくり仰天したのではないか。季節感も描かれていたりするが、農事暦を意味する訳でもないし、詩歌に関係してもいない。だが、絵を眺めれば、自然と一体化したような農民の淡々とした日常生活が迫ってくる。一見したところ風俗画だが、自然を描いた風景画とも言える。日本にはそんな絵は存在しないから、読み取りには苦闘したかも。でも、江戸でも、そのうちこの手の絵が流行る時代が来るとピンと来たのだろう。ただ、江戸の町民文化からすれば、それは農民ではないが。

「冨嶽三十六景」とは、やりたかったことの集大成作品と言えるのではないか。


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