■■■ 北斎と広重からの学び 2013.3.1 ■■■ シリーズもの成功後の共作 初代広重(1797-1858年)は風景画家として名を成した以後は、成功者が歩む典型的パターンで生きたと言えまいか。 そう感じさせるのは晩年作品が、役者絵大家の三代豊国(1786-1864年)との共作「双筆 東海道五十三次」(1854-1857年)だからだ。尚、目録は千社札意匠で知られる梅素亭玄魚(1817-1880年)。 斬新な企画という訳ではない。役者絵風旅人の人物画を主、額縁風景画を従として、画面の全体調整は図られているが、両者のテーマ合わせがされたとはとうてい思えない代物。つまり、有名絵師の揃い踏みという、「豪華さ」がウリというだけの、わかりきったモチーフの詰め込み作品と言えなくもない。一枚一枚眺めてみたが、どう見ても凡庸そのもの。(ご参考ということで、下記に内容一覧を添付した。)しかし、だからこそ、安定感抜群という評価になる訳で、円熟した大作とみなされることになろう。従って、世間に大ウケしたと思われる。 次世代襲名絵師に顧客基盤を受け継ぎ、歌川一家繁栄を確定させるには、最良の企画だったことは間違いなさそう。 ただ、名所画家というレッテルから抜け出す姿勢を見さえなかった訳ではない。北斎同様に、花鳥画分野にも手を出しているからだ。郵便切手収集マニアに有名な「月と雁」で知られるように、この分野でも大成功と見てよいだろう。癖を露骨に示す北斎の絵と違い、情緒感を醸し出す穏やかな絵で収めたからである。要するに、伝統的な詩歌の世界と協調的な創作に徹したということ。当然ながら、それにあった讃を提供してもらった作品も少なくない。実に手堅い共作姿勢。 一方、北斎は1849年没だが、死ぬ直前まで新しいことに挑戦し続けた。特筆すべきは読本作家との共作だと思う。多作だが、単なる挿絵とは言い難い出来映えのものが多い。山東京伝との「昔語稲妻表紙」(1805年)、曲亭馬琴との「新編水滸画伝」(1804年)や「椿説弓張月」(1806年)、柳亭種彦と「近世怪談霜世星」(1808年)辺りから手を付け、晩年には山田意斎と「釈迦御一代図会」(1843年)といったジャンルまでと、実に幅広い。どれもこれも、決まりなどないから、イマジネーションと描写力での勝負となる。見れば誰でもするわかると思うが、北斎の絵は創造力という点で群を抜いている。そこにはマンネリ感は無い。共作で、新しい息吹に触れ、殻を破ることに成功したということ。飽くなき挑戦者なのである。 **** 「双筆 東海道五十三次」の内容 **** [01] 日本橋・・・<富士>橋下から一石橋/江戸城・・・毛槍持奴人形を持つ子供と町娘 [02] 品 川・・・<海>・・・身仕舞部屋 [03] 川 崎・・・<富士><渡河>六郷川乃渡し・・・<大森名産>麦藁細工 [04] 加奈川・・・<海>従金川台 芒横浜本牧眺望・・・女装槍持(八坂神社お札まき) [05] 保かや・・・<富士>金沢海道 山野風景・・・伊勢参子供 [06] 戸 塚・・・坂道・・・旅人宿女[酒と肴] [07] 藤 澤・・・<富士>松並木の街道・・・<劇>照手姫(小栗判官) [08] 平 塚・・・<富士>馬入川船渡・・・給仕女[食事] [09] 大 磯・・・鴨立沢 西行庵・・・<劇>虎 祐成(仇討ちもの) [10] 小田原・・・<渡河>酒匂川徒歩渡・・・[湯元]湯上り女 ・・・遠景箱根連山・・・<箱根名産>寄木細工売子供 [11] 箱 根・・・早川三枚橋先は二子山の壁・・・<劇>躄車(飯沼勝五郎/初花) [12] 三 嶋・・・<夜>大場川先の宿場遠景・・・<劇>おせん [13] 沼 津・・・<富士>沼津城と千本松原・・・<劇>お米/重兵衛(伊賀越道中双六) [14] は ら・・・<富士>柏原立バ・・・<劇>女白酒売り [15] 吉 原・・・<富士>左不二縄手・・・<和歌>西行法師 [16] 蒲 原・・・<富士><渡河>不二川船渡・・・留女[客引き] [17] 由 井・・・<富士>薩タ峠・・・<劇>宮城野/志のぶ 姉妹 [18] 奥 津・・・<富士>清見ヶ関 清見寺 田子の浦・・・旅按摩 [19] 江 尻・・・三保の松/羽衣の松・・・<劇/伝説>天女 [20] 府 中・・・<渡河>安部川・・・<劇><本山名産>茶摘娘 [21] 鞠 子・・・<雪>宿場町と山々・・・<宇津の谷名産>十団子 [22] 岡 部・・・<雪>宇津の山 蔦の細道・・・<劇>岡部六弥太(一谷嫩軍記) [23] 藤 枝・・・<渡河>セト川 歩行渡・・・駕籠に乗る旅女[煙管で一服中] [24] 嶋 田・・・<渡河>大井川・・・輦台を前にした旅女[煙管で一服済] [25] 金 谷・・・<富士>金谷坂道より大井川・・・<劇>瞽女 深雪(生写朝顔話) [26] 日 坂・・・小夜の中山 無間山眺望・・・<劇>梅ヶ枝(ひらかな盛衰記) [27] 懸 川・・・<渡河>二瀬川大池橋・・・田舎娘と子供[ヤカンと弁当のお届] [28] 袋 井・・・田園・・・女順禮 阿多利繁栄村 [29] 見 附・・・<渡河>天龍川舩渡・・・男女旅人[見返りながら煙管で一服] [30] 濱 松・・・<海>遠州灘と松・・・乗懸馬 [31] 舞 坂・・・<海>今切海上風景・・・瞽女道行 [32] 荒 井・・・遠湖堀江風景・・・改め婆 [33] 白須賀・・・汐見坂眺望・・・<劇>児雷也 [34] 二 川・・・巌窟観音山上・・・<劇>釣葱賣(双面物) [35] 吉 田・・・豊川大橋・・・<劇>阿蘭ノ方(義臣伝読切講釈) [36] 御 油・・・<富士>本野ヶ原 不二眺望・・・<劇>山本直江(本朝廿四孝) [37] 赤 坂・・・<満月夜>蛇行道筋・・・三河万歳(英一蝶門下画) [38] 藤 川・・・街道沿宿場町遠景・・・女旅人二人連 [39] 岡 崎・・・矢矧皮やはきのはし・・・<劇>浄瑠璃姫/牛若丸(十二段草子) [40] 池鯉鮒・・・八ツ橋村 杜若の古蹟・・・<劇/物語>業平 八ツ橋(伊勢物語) [41] 鳴 海・・・<闇夜><海>星崎・・・<劇>丹右エ門(伊賀越道中双六) [42] 宮 ・・・熱田訳 寝覚里 遠景・・・<劇>平景清(三枡姿八景) [43] 桑 名・・・<湊>冬暮白魚網・・・<劇/伝説>乙姫/浦島 [44] 四日市・・・<湊>那古浦 蜃気楼・・・<劇>範清(軍法富士見西行) [45] 石薬師・・・高富山遠景・・・<劇>弁けい(御所桜堀川夜討) [46] 庄 野・・・<雪>・・・女人旅二人連:<劇>戸無瀬/小浪(仮名手本忠臣蔵) [47] 亀 山・・・亀山城坂道・・・<劇>赤ほり 水右衛門(仇討ちもの) [48] 関 ・・・古代鈴鹿の関・・・<劇>蝉丸 上臈(蝉丸) [49] 坂之下・・・筆捨山 八十瀬川・・・<劇>阿漕平治/平瓦治郎蔵(勢州阿漕浦) [50] 土 山・・・<雨>田村川沿い急斜面・・・<劇>白井権八(浮世柄比翼稲妻) [51] 水 口・・・岩根山眺望・・・<劇>笹引の場(ひらかな盛衰記) [52] 石 部・・・目川の里・・・<劇>帯屋長衛門/信濃屋お半(桂川連理柵) [53] 草 津・・・<雨>琵琶湖 せたの橋・・・<劇>佐々木高綱/谷村小藤次(近江源氏先陣館) [54] 大 津・・・<雪>あふ坂やま せきの清水・・・<劇/和歌>鏡山の大伴黒ぬし [55] 京大尾・・・三条大橋欄干から・・・<劇>室町殿こと足利(田舎光源氏) (推奨ウエブリソーシス) 国立国会図書館デジタル化資料 双筆五十三次 (解説本) 町田市立国際版画美術館[監修]/渡邉晃[解説]:「三代豊国・初代広重 双筆五十三次 謎解き浮世絵叢書」 二玄社 2011年 北斎と広重からの学び−INDEX >>> HOME>>> (C) 2013 RandDManagement.com |