■■■ 北斎と広重からの学び 2013.3.11 ■■■

   印象派の画家達はどう見たのか

「富嶽三十六景」、「富嶽百景」、「東海道五十三次」は1830年代の作品。をれからずいぶんたつ1850年代末に「名所江戸百景」が出版されたのである。そして、60年代に入ると、桜田門外の変、大政奉還へと一挙に動く。ペリーの黒船を出した米国ではリンカーンの「人民の人民による人民のための政治」演説。ロシアでは「戦争と平和」や「罪と罰」の刊行と、価値観が大きく変わる激動期だったのである。
その1960年代、パリではジャポニスム(Japonisme)が大きなうねりとなって広がった。1867年開催のパリ万国博覧会が、もともと持っていた異国趣味に火をつけたのだろう。70年代になると、気鋭の画家達が浮世絵を飾るのは当たり前と化したようだ。特に浮世絵は一世風靡。
丁度、勃興した印象派の画家達が好んでいたこともあり、浮世絵が大きな影響を与えたとされている。

ただ、それを大きく扱うのは日本国内での見方。影響を与えたのは、絵から明らかだが、残念ながらそれが本質的なものなのか、単なる流行にあわせて都合のよさそうなところを使っただけなのか、論理的に説明ができていないようである。
一過性の流行でしかないのなら、たいした意味はないということになる。その辺りを少し考えてみた。

と言うことで、まずはフランス人が著した簡単な解説書を眺めてみようか。もちろん、文庫クセジュ。これによると、「印象主義の冒険に参加した個々の画家たちを結びつける共通点はあまりなく、ごく大まかな傾向が・・・彼らをひとつのブループにまとめていた」ということのようだ。確かに、光の画家とか名づけられているが、画集をながめれば、古典派さながらの絵も少なくない訳で、それが本質ということはなさそう。
はっきりしているのは、因習に落ち込んでいる状況を突破し、新しい視点で絵を描きたいという強い意志を持つ「独立」画家「アンデパンダン」の集まりが、俗に言う印象派だったということだろう。
当然ながら、浮世絵が包括的に影響を与える役割を果たしたという話が出てくる訳がない。
しかし、そんなものだろうか。
そう感じるのは、影響を及ぼした先は画家だけではないからである。北斎が有名なのは、そこにある。ご存知、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーの管弦楽曲「海」である。1905年に出版されたスコアの表紙に、北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の波の部部が使用されている。これは、単なるJaponismeを通り越しており、HOKUSAIの精神を受け継ぐと宣言しているようなものだからだ。
どういうことかと言えば、それまでの決まりきった作曲手法に従わず、作曲家としてのインスピレーションを直接表現しているから。テーマを創作して、和声のルールで発展系を作り上げる伝統技法を乗り越えるという決意表明と考えるのが妥当だろう。

という事は、改革派の画家も、北斎の浮世絵に絶大なシンパシーを感じていた筈である。要するに、宗教や王権に係わる「物語・説話」や「歴史・事跡」の類の絵画には飽きたということである。政治的に言い換えれば、官学・官展・御用アカデミーの3セットからの脱皮なしには新しい時代を切り拓けないということ。
そりゃそうである。貴族・ブルジョアジー・労働者の階級化が進み、都市化でインテリゲンジャ層も厚くなってきたのが、パリの姿。余暇を過ごす場である、公園や芸能歓楽施設が整備され、カフェ文化が花開いているのに、古色蒼然の絵画ではやってられぬと感じて当たり前。

従って、印象派の運動とは簡潔明瞭。
  ・題材は一般市民が日常生活で眺めそうなシーン。
    そうなれば、
  ・鑑賞するための「教養」は不要となり、
  ・見ればわかる理解し易い絵だけに。
    当然の結果として、
  ・落ち着いた色調に拘る気分は喪失し、
    絵全体が明るくなる。
  ・道徳観念による「しばり」感覚は薄れ、
    現実肯定的になる。
これを、一番有名なモネの絵に当てはめると、単純明快。
  ・感じた一瞬の風景を切り取る。・・・屋外光重視
  ・直接感じたことを絵にする。・・・戸外写生重視
    そのためには、技法上の限界を突破する要あり。
  ・絵の平板化。・・・絵筆のタッチを重視
  ・絵の具混合手法から離脱。・・・混合視覚効果の利用
これは浮世絵の発想そのものではないか。北斎の富嶽シリーズなど、画題は常に「富士山」であり、それぞれは副題がついているとはいえ、単なるバリエーションというか、実生活や単なる情景描写でしかない。しかし、それが人々にインパクトを与える訳である。
物語性ある画題などどうでもよく、浮世絵のように自由に描きたいというのがモネの考え方にピッタリ合うではないか。モネが浮世絵に飛ぶつくのは当たり前かも。

ただ、それは浮世絵が持つ「毒」も取り入れてしまったとも言える。北斎の表現を見れば明らかなように、絵師が個性を発揮したくなれば、どんどんと抽象性を高めることになる。そのうち自己否定の抽象化絵画へと進まざるを得なくなってしまう訳だ。そうなると、理解は難しくなり一般の人達は離れていくことになる。

浮世絵は版画なので、それを通じて絵画が大衆性化してしまった日本の場合は、そのような自己否定は難しい。だからこそ、日本では印象派絵画だけが矢鱈愛される結果になっているのではないか。定番画家ははっきりしているのである。風景画のモネ、風俗/人物画のルノアールが双璧。両者に影響を与えた、過去からの連続性を持ち込んでいるのがマネ。風景系列として、シスレー、ピサロ。風俗/人物系列としてドガも追加というところ。ブリヂストン、国立西洋、松岡、ポーラ、大原、ひろしま、がそれに応える代表的美術館で、自治体美術館も、できる限りそれを目指すという状況。絵にほとんど興味がない為政者でも、印象派を揃えるならご納得ということなのである。それに、大衆市場の浮世絵と違って、印象派の油彩画はフルジョアジー(成金ではない。)の市場だから、安心できるし。

* フリーの美術史家の解説本:マリナ・フェレッティ/Marina Ferretti[武藤剛史 訳]「印象派」白水社-文庫クセジュ2008年 (原著2004年) 尚、古い、同名訳本がある。印象派専門家ではないが、ルーブル学芸員の画家:著。モーリス・セリュラス/Maurice S'erullaz[平岡昇,丸山尚一 訳]「印象派」白水社-文庫クセジュ1962/1992年
* Claude Debussy, La Vague d'Hokusai en couverture de La Mer: 5 mars 1905 http://expositions.bnf.fr/lamer/grand/121.htm


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