■■■ 北斎と広重からの学び 2013.3.13 ■■■

   カサットの受け取り方

日本ではカサット/Mary Cassatt(1844-1926)に人気が沸いたことはなさそうである。油彩作品を所蔵している国内の美術館が少ないせいもありそうだが。
  赤い帽子の少女1881[油彩 村内美術館](1)
  モレル・ダルルー伯爵夫人と息子1906[パステル 東京富士美術館](2)
  団扇を持つバラ色の服の女1889[パステル 東京富士美術館](3)
  マリー・ルイーズ・デュラン・リュエルの肖像[パステル 吉野石膏コレクション/山形美術館]

ご存知、パリに来たアメリカ人女性である。もちろん、米国のエスタブリッシュメント出身であり、資産家の娘。外出しづらかったのか、家族や家庭内での労働提供女性を題材にしている絵が多いが、日本の白樺派的なセンチメンタリズムは微塵も感じられない。よくある漂泊奔放な芸術家生活とは全くもって無縁。他人にも暖かく接するというプロテスタントとしての倫理観が身についているということ。知的エリートとして、精錬な生活を送っていた訳で、そこに「美」を見出していた訳である。この文化を当たり前とは考えていない人からみれば極めて挑戦的だが、おそらくご当人にはそんな感覚はなかろう。
  "ル・フィガロ"を読む(画家の母のポートレート)1878
  孫の幼児達に本を読んでやるマダムカサット1880
  家族1892
  縫い物1902
絵の特徴が一番よくわかるのは、アメリカンスタイルの大型の肘付きソファーに、退屈そうに座る少女と、隣のソファーで寝ている子犬の絵。ブルジョアジーの日常生活の一齣を切り取っただけ。国立新美術館でのワシントン・ナショナル・ギャラリー展で見た人も多いと思う。
  青いひじ掛け椅子に座る少女1878(4)
およそ、北斎・広重の浮世絵とは無縁な世界の気もするが、その影響は小さくなかったようである。まずは、大胆な構図。魅力的だったと見え、マネの「En bateau」[1874]同様な絵を描いている。
  舟遊びの人達1894
情緒感を伝えたいなら、風景全体を描く必要などないと言うか、それは邪魔だから、この構図にどうしても惹かれるということだろう。風景画は、普通はパノラマ型横広がり画面にするが、それでは伝わるものも伝わらなくなりかねないことを、縦長の浮世絵を見て気付いたのだろう。そして、なによりも共感を覚えたのは、絵の完成度ではないか。類稀なるインスピレーションを発揮している絵だが、よく観察すれば、その表現のために技巧を駆使し、とてつもない苦労を払っていることがわかったからだろう。それがカサットの信条と重なったと思われる。
おそらく、関心はそこで留まっていなかったと思われる。浮世絵が大衆性を保ちながらも、質を担保していることに大いに驚いた筈。
婦人参政権運動家でもあったらしいが、そういうことを考えると、版画を絵画の主流にしようと考えていたのは間違いなかろう。多色刷りは見事に浮世絵画法。
  浴女1891
いうまでもないが、カソリックと違い、新世界の人々には、ブルジョワ階級としての使命感が強く、労働者階級にも上質な芸術を提供すべきと考えていた筈である。肉筆絵画では、それは果たせないから、いかに版画化を果たすか苦心賛嘆だったのではあるまいか。
  The dry-point シリーズ(5)

結局のところ、事業的にペイしないので、実現はしなかった訳だが。

(1) http://www.ne.jp/asahi/art.barbizon/y.ide/murauchi.p.11.si-ren.html
(2) http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1105
(3) http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1263
(4) http://www.ntv.co.jp/washington/exhibition/gallery/09.html
(5) http://www.lesamisdemarycassatt.fr/Biographie/Us_index.html#gravure

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