■■■ 北斎と広重からの学び 2013.3.22 ■■■

   題材の本質

頭から小説の一文の引用だが、ご勘弁のほど。説明は要しないだろう。・・・

あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない・・・//・・・
広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、
「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」
・・・//・・・
少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。
「時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」
「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」
 広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本の社会を代表しているんだと言う。

実は、漱石だけでなく、北斎と広重も。こうした日本の世情を十分理解していたのでは。
当然ながら、海外ではその辺りは通じない。モネはどうかわからぬが、浮世絵好きのポスト印象派の人達は、日本人は自然教と勘違いした可能性が高い。

おそらく、北斎の浮世絵を眺めて、当時の江戸でも、そんな主張が絵に隠されていることが、わかる人にはわかったのだと思う。笑いながら、そりゃそうだネと喜んだに違いない。
それがわかるのが、逆さ富士の冗談。百景の訳のわからぬ海外情景などそれを上回るキツさ。"海の風景画(2013.1.26)"で「琉球八景」のなかの魅力的な浮世絵、臨海湖声を取り上げたが、このシリーズなどまさにソレそのもの。北斎が琉球に行ったことがあろう筈もないし、元ネタの絵をもとにして描いた冗談作品でもあるのは一目瞭然。沖縄に富士山があろう筈はなかろう。・・・長虹秋霽と城嶽靈泉では赤富士、中島蕉園では冠雪富士。これにはおそれいる。

そうそう、「己痴羣夢多字画尽(1810年)」という北斎本をご存知だろうか。多分、そのうちの何枚かは見たことがある筈。どれが有名ということではなく、漫画とはいえないまでも、その洒脱な表現が面白いから、適当な絵を抜き出して紹介されることが多いからだ。しかし、本の題名は漢字で面倒なのか、孫引き書のタイトルである"北斎の絵手本"と書かれているのが普通。まことに残念。
この題名を読むことが重要だからだ。どう見たって、これは小野篁のギャグ。それを、そう扱わないのが日本の風土といえなくもない。

ついでながら、この本にも富士山の書き方が示されている。「大八に小八かさねて ふじ乃やま 羽にへ二 つるのまひ」である。鶴が二羽飛ぶ富士山を眺める武士の後姿は、「3山七か○士」となる。確かに、へのへのもへじ型絵手本であるのは間違いではない訳である。

「お馬鹿さん。世界に誇るべきは富士山ではなく、それをトコトン描く職人魂なのだぜ。」ということ。
おそらく、広重も負けずに、同様な作品を出しているのではないか。但し、北斎ほど露骨ではなく、上品に。流派維持のために、表立たないよう、それとなく。

(本) 永田生慈:「北斎の絵手本(一)」 岩崎美術社 (1986)
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