■■■ 北斎と広重からの学び 2013.8.1 ■■■

      百日紅

北斎漫画と書くと、北斎の作品になってしまうが、今回はそうではなくて、北斎を題材にした漫画作品の意味で使う。
4冊あるようだ。
  ・杉浦日向子:「百日紅」ちくま文庫 1996
  ・沢田徹:「マンガ北斎」平凡社 1993
  ・アンベ幸:「葛飾北斎―ゴーギャンも絶賛!八方破れの絵師人生
    (マンガ大江戸パワフル人物伝)」草土文化 1994
  ・石ノ森章太郎:「北斎」角川書店 2005


有名なのは、杉浦日向子作品。
「漫画サンデー」に連載され、(1983-1987年) 葛飾北斎と娘のお栄を中心とした江戸の風俗や庶民の生活を描いた傑作とされている。[文庫版は上下巻/30話]
漫画ではあるが、一種の江戸文化研究書。と言うか、北斎の絵を眺めていると、どのように作品を仕上げたのか、はたまたどのような生活態度だったのか、イマジネーションが沸々と湧き上がってくる方だったから、そんな漫画が生まれたということだろう。
北斎の絵にはそれだけの力があるということでもあろう。

と言うか、実相を見ることもできず、人様の眼鏡に合うように絵を描けという要求を一番嫌うという点で、北斎に共感を持った方なのだと思われる。
言葉の上で、見る対象は全く同じでも、人それぞれ、見ているものは実は違っており、「写実」に徹すれば、世間一般に流布しているパターンに合うようなことなどあり得ない。その点で、北斎と漫画作者は通じるところがあったということではないか。

伝統に則るワンパターンな表現で、観客の期待に応える手の芝居など糞食らえ精神。といって、「ありのまま」描いてどうするのということ。なんで、そんな視点で見なきゃいけないのかい、お馬鹿さん、となる訳だ。
色々な立場から見ることができるが、今の俺にしてみれば、コレだネと言う訳である。それに自信が無い輩は塗り絵でもしたらとなる。
当然ながら、それには自分の視点を確かめるためのただならない苦闘と、対象を見つめる集中力が不可欠。口で言うほど簡単なことではないのである。日々、これ研鑽しかない世界。

「百日紅」は、加賀千代女の句から採用されたそうだが、そう考えると、この木を選んだ理由がよくわかる。
  散れば咲き 散れば咲きして 百日紅
梅雨が明けて、暑くなると途端に咲き始め、花弁はボロボロ散っているのだが、どの枝を見ても花が密集しておりどこから落ちたのかさっぱりわからない。
しかも、暑い盛りに、それが百日も続くのだ。
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