■■■ 北斎と広重からの学び 2014.1.26 ■■■

   北斎のコンポジション挑戦

北斎は「冨嶽三十六景」(1831-1835年刊行)に引き続いて、「諸国瀧廻り(全八図)」(1833年)を出版。
 和州吉野義経馬洗滝
 東都葵ケ岡の滝・・・溜池近辺
 相州大山ろうべんの滝
 美濃国養老の滝
 下野黒髪山きりふりの滝・・・日光東照宮近辺
 木曾海道小野ノ瀑布・・・寝覚の床近辺
 木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝・・・郡上市
 東海道坂ノ下清滝くわんおん・・・鈴鹿峠前の坂下宿近辺

これらの鑑賞の壷だが、NHK美の壷No.137「滝」によれば、「一瞬の表情を切り取る」点と見なされているようだ。"水を観察し尽くした北斎ならではの描写"というのが一般的評価。
それはその通りだが、滝絵の場合、特別に考慮せざるを得ない点がある。それは、信仰対象となる日本の滝は上下が長いからだ。左右に広がるタイプはもともと少ないこともあるが、落ち口が広がっているとその奥の神秘性を欠くと見られるからではないか。

自然信仰という点では、富士山と瀧は似ている訳だが、これを絵にするとしたら、横と縦の違いが生じてしまう。
これはことのほか大きな問題である。
なんとなれば、どちらにしても、あくまでも風景画だからだ。
どうしたって、横版にしたくなる筈である。前景、中景、後景(近景〜遠景)を入れ込もうとすれば、横広がりなほど表現し易いということ。縦版はつらかろう。

藍一色の「甲州石班沢」にしても、横長だからこその美しさでは。このシーンを縦版に落とし込むのは極めて難しいと思われる。
その横版の極地をあげるなら、狂歌絵本『絵本隅田川両岸一覧』の「両国納涼・一の橋弁天」か。これは、見開きの全4頁続き絵。絵本だから、こうした体裁にならざるを得ないとはいえ、横長でないと風景画はしまらないのである。
  → 「隅田川両岸一覧」 国立国会図書館デジタル化資料 {13-14コマ]

しかし、北斎はそうした常識を突き破る手をすでに見つけていた。「甲州三嶌越」で、それがわかる。この絵は、上下に伸びる大木がテーマ。横版に合わせて体裁を整えてはいるが、このモチーフなら、縦版でもかまわなかった筈。と言うか、本当はそうしたかった可能性もあり得よう。

その流れで、縦長たる滝に挑戦したくなったのでは。
完璧な縦版でなくても、滝を描けることを示したかったのだと思う。
普通なら、日本的な滝を題材にして、横広がりな画面で描くと、間が抜けた印象を与えてしまう。それを、独特のコンポジション設定で回避した訳である。鋭い感覚の持ち主である。
斬新な表現を試みたというか、画期的風景画を提供したこと間違いなし。滝絵で見るべきは、「水」の表現だけでは無いのである。

広重は、この凄さを十分すぎるほど理解していたかも。そうだとすれば、自分なりの方法で、北斎のように挑戦してみたかった筈。しかし、情緒的なシーンを描く絵師としてのイメージがすでに固まっており、北斎バリの斬新なコンポジションは名声を傷つけかねないから躊躇せざるを得まい。
だが、晩年に至り、ついに決断したように見える。それが、「名所江戸百景」。
驚くことに、完璧な縦版を用いたのである。そして、前景に強烈な印象を与えるオブジェ的な一物を配置。そうしておきながら、全景を俯瞰的に見下ろしているかのような気分にさせる絶妙な構成で描いた訳である。
そのうちの一枚、「亀戸梅屋舗」をゴッホが模写しているが、その驚きはわかる気がする。

 北斎と広重からの学び−INDEX >>>    HOME>>>
 (C) 2014 RandDManagement.com