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■■■ 北斎と広重からの学び 2014.3.26 ■■■


北斎が考え出した題名の先鋭さ

北斎v.s.広重をネタに、随分と書きなぐってきたが、いよいよ本丸の話を始めよう。

北斎の「冨嶽三十六景」の代表作といえば、だれでもがあげるのが以下の3点。
   ・凱風快晴と山下白雨
   ・神奈川沖浪裏

多分、北斎自身もそう評価されると踏んでいたに違いない。そう思うのは、タイトルが考えに考え抜かれたものであるから。この辺りは、日本語を知らない人にはわかるまい。

全作品中、富士山中たる「諸人登山」を除けば、基本的に眺望を描いた風景画であるから、タイトルは地名でしかない。
そこからこのようなアングルで見ると、流石、f富士の山だネという主張である。
例外は僅か。水車をわざわざ絵に入れる場合は、その旨、記述しているにすぎない。特別な時点の時には、補足的に、「夕陽見」、「雪ノ旦」といった言葉を加えることはあるものの、それ以上の配慮はない。

上記の3作はその範疇には入らないのである。
ここが肝。

それに広重が気付かない筈もなく、まいったに違いない。
いくら頑張ったところで、これらの絵を越えることはできそうにないからだ。

蒲原にしてから、単なる「夜の雪」。三島に至っては「朝霧」である。なんともストレートなこと。そうするしかなかったのである。
小生が見る限り、これだけでも両者の創造性の力量差は歴然としていると思う。おそらく広重もそれを感じとっていた筈。いたく面白くなかっただろうが、どうにもならなかったのだと思う。

北斎にとっては、この3作品に籠めた己の創造性こそが表現の原点。しかし、広重はそれを認める訳にはいかなかったということ。絵では、トコトン写実性に拘るべきで、空想や主観で描くのは許せんとの気迫で臨むしかなかったろう。それなら、情緒で食べる絵師でも対等の勝負が可能だから。
その意気込みを籠めた広重作品が、箱根の湖水図。絵などいかようにも描ける、と見せたつもりだと思われる。
小生は、失敗作でしかないと思う。

しかし、そんな作品が登場したお陰で、北斎の素晴らしさに気付かされるということでもある。

どういうことか簡単に触れておこう。

少なくとも小生は「凱風」という用語の正確な意味は未だによくわからない。習った覚えがないからだ。従って、出版された当時も、はっきりわかっている人だらけとは思えない。にもかかわらず、北斎はあえて、その漢字を用いた題名にしたのである。
つまり、題名から絵を読むのではなく、絵から題名を読むしかないということ。だからこそこの絵は素敵なのである。

絵を見ていれば、これはこれから暑くなっていく、夏の朝であることに気付く訳である。そうそう、そんな時は、南から吹いてくる風で、今日も暑くなること間違いなしと感じるナーと富士山を見上げるシーンが脳裏に浮かぶ訳だ。そうか、「凱風」とはそんな風をさす言葉なのか。素敵な漢字表現だとなる。
素晴らしいモチーフであることに、そこで初めて気付かされることになる。

「山下白雨」は、そんな「凱風快晴」と対をなす絵である。夏の夕立の心象風景とはこいうものではないかと、提起しているのではないかネ。それにゾクッとならないか。当たり前だが、絵には雨の欠片も描かれていないのである。
情緒的に雨をトコトン描ききった広重としては、不快極まる絵かも知れぬ。こうした創造性は許せなかったのだと思われる。

とくれば、「神奈川沖浪裏」の意義は説明の要なしだろう。
常識的御仁なら、「浪裏」などという概念自体が空想の世界でしかなかろう。しかし、それは現に存在するモノだと、この絵を通じて初めて実感させられるのだ。そこには世界観が凝縮されていると言ってもよいかも。

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